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2007年5月
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2007年5月。五千年の歴史のある、
ギザのピラミッドとスフインクス
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ピラミッド中央の凹みは、
盗掘の跡 |
ピラミッドは4辺が正確に東西に向いている。高低差もわずか2・1センチ |
屈折ピラミッド。はじめ角度の計算を間違えたとのこと。 |
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砂漠の中に茫洋として見える
ピラミッド群も幻想的に見えます |
これは、うそつきラムぜス王の
スフインクスです |
アレクサンドリアのバザール |
左の制服がポリス、右側が泥棒。
それはうそです。アレキサンドリア |
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カイロの町のすぐ近くにギザのピラミッドがあります。人の出入りする口が観光用。上が盗掘跡。
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カイロのエジプト博物館の像 |
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2007年5月。シルクロードの国・トルコへ行きました
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世界遺産に登録されているトプカピ宮殿は、壮大な建築物でした |
ボスポラス海峡からエーゲ海に
向かう船 |
トプカピ宮殿の内部です |
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手前が日本からシルクロードを通ってやってきた陶磁器です
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トプカプ宮殿のミナレットです |
1980年に復元されたトロイの木馬。シュリーマンが全財産をつぎ込んで発掘しました。 |
これが、カッパドキアだっ!!! |
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ギリシア軍はこの斜面を滑らせて、トロイの木馬を運び入れました
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トロイにある円形劇場・コロッセウム |
エフェッソスの遺跡は、ギリシア時代と共通したものがあります |
世界遺産・パムッカレの石灰棚 |
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カッパドキア群 |
トロイの城壁跡 |
これがカッパドキアです |
上が鉄鉱石で、下のほうが石灰岩なので、数千年の風化で削り取られたのです |
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トルコに行ってはじめてシルクロードの名残を見ました。キャラバンサライ・隊商宿です
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世界遺産にならなければおかしいというくらい、すごいものでした |
なんとも壮観、としかいえません |
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2007年3月
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タシケントのアリシェール・ナワイーオペラ劇場は、日本人捕虜が強制労働で造った建造物です。
地震が来てもビクともしませんでした
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タシケントのヤッカ・サライ墓地に眠る日本人捕虜の墓。80人近くが、はるか日本を想いながら眠っています |
タシケントの独立広場にある
国会議事堂 |
クカルダシュ・モスクは5千人が受験して、80人しか合格しない神学校。 |
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タシケントからサマルカンドに向かう駅のホームで気さくなおばさんたち |
サマルカンドのレギスタン広場。
これはシールダール・メドレス |
左がウルグべク・メドレス。いずれも皇帝ティムールの命令で造られた |
サマルカンドのバザールで、
若者同士で仲良くなりました |
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この蒼がサマルカンドの空を隠してしまったといわれるほどでした。
ビビ・ハヌムモスクのドーム。 |
ブハラからキジルクム砂漠を抜けていくとアム・ダリアに出会いました
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博物館都市・ヒヴァの城壁。街全体が世界遺産です。ここは刑場跡。 |
ヒヴァのレストランで、なんと日本人女性の舞踊家がいました |
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火力発電所のようなヒヴァの
モスクの塔。 |
アクサライの宮殿跡。双方の屋上にまたがって女性専用のプールがあった。高さは38m、昔は65mあった。
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稀代の皇帝ティムールを語らずして、ウズベキスタンを語ることはできない |
城壁の下にあるお墓。
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50年以上昔の。レトロなソ連製の車が今でも走っています |
ヒヴァの宮殿の中に入って集落に向かう。 |
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おいしいナンを焼いてくれた
美しい少女が素敵でした。
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ヒヴァの宮殿の城壁を上から見る。 |
ヒヴァの宮殿跡。世界遺産に登録されています。 |
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2007年4・5月
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モンゴル建国の英雄といわれるスフバートルの像。
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ウランバートル市内中心部の広場にある白鵬の広告塔。 |
モンゴルの草原には、このような光景はザラです。テレルジのキャンプ。 |
郊外の丘にもチンギスハーンが描かれています。 |
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荒馬を調教する遊牧民
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モンゴルの音楽と舞踊を
堪能しました |
今のモンゴルでは、どこにでもチンギスハーンを見ることができます。20年前にはこれができなかったのです |
ウランバートル市内のチベット仏教
のガンデン寺 |
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この仔馬は、きのう生まれた
ばかりだそうです。
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訪れたゲルにすむ遊牧民の親子 |
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2007年6月
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いよいよ汽車は念青唐古拉山脈に
入っていきます。
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この橋の杭、一本一本に科学の粋が集められて作られました。 |
チベットカモシカがいました。この種は絶滅危惧種になっています。 |
道路を行くトラック隊。 |
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6000メートルの山脈を背景に
車がいきます。
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雪山の光景にみな見惚れました。 |
昔のチベットの首都ツエタンの
ユンブランカ宮殿跡。 |
摩崖佛像。ラサ郊外にあります。 |
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2007年6月9日、いよいよゴルムドの駅からラサに向けて出発です。
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車窓から見える光景は、雪景色になったり、春になったり・・・・ |
汽車の高度計はチベット鉄道最高到達点の5077米近くを通りました。そしてみんなで乾杯しました。 |
食堂車ではホット一息ついて楽しくビールで乾杯。あれほど高山病に注意といったのに・・・・ |
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14時間半の汽車のたびが終わってラサにつきました。
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汽車の中は巡礼に行くチベットの人たちで一杯。日本とチベットの歌声交歓会になりました。 |
10年ぶりのポタラ宮殿は1日2000人と入場者が決められています。外国人はなぜかパスポートが必要。 |
ポタラ宮には白い宮殿と紅い宮殿があります。 |
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ジョカン寺まで数ヶ月かけて五体投地をしてくる人もいます。
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三つ子の魂、百までも。 |
セラ寺では、若い修業僧が問答の
練習。 |
ラサのノルブリンカ宮殿。
かつてダライラマの夏の離宮でした。 |
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ダライラマ14世の寝室の跡。今は無人の観光用です。 |
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2007年9月
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敦煌の鳴沙山で
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莫高窟念前で記念写真 |
チャルクリ区近辺の遺跡 |
9月の雪道をひたすら
チャルクリクに向かって走る |
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陽関の張騫像
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陽関の遺跡 |
ミーラン遺跡から太陽を覗く |
友人のガイド、ヌルさんと
ミーラン遺跡 |
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ミーラン遺跡で往時を偲ぶ
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オアシスで超遺物の
トラクターが・・・ |
3000 年前の搾油器
チェルチェンで |
アルジン山脈を登るが、
大雪で難渋した |
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チェルチェン故城
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ランクルも砂漠に車輪を
取られて・・・ |
チェルチェンのオアシスで
走るタクシーです |
昼食で自宅に帰る中学生たち |
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はるかかなたにムズターグ峰を
見ながら西域南道を往く
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今回もケリアの帽子をかぶった
おばあさんに会いました |
ホータンのポプラ並木 |
ヤルカンドのアマンニサハン廟 |
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ュイロンカシ川で
いまだに玉を探す人たち
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