満州族の人口は約1千万人。中国の東北地方から南部一帯に分布して、南方トゥングース系で渤海国を建てた民族です。
 新疆における満州族の大部分は、清朝政府の命令によって、新疆省防衛のために派遣された「満州八旗」の屯田兵の子孫です。このように彼らは300年にわたって新疆の諸民族とともに生活してきました。
 満州族は長い歴史を持つ民族ですし、その祖先は2千年前までさかのぼることができ、その子孫たちは「靺鞨」、「?婁」、「勿吉」などと呼ばれていました。
 「黒水靺鞨」は満州族の直系の祖先で、その後、女真へと発展を遂げ、12世紀に金王朝を創建しました。
 1599年、清の太祖ヌルハチによる制定に始まり、太宗のときに、女真族の各派を統一してから満州語と満州文字をつくる仕事が成就し、1635年には民族の呼称を満州としました。
文字はモンゴル文字を基本とし、点と線または形を加えて満州語の音を示すに至ったもので、別に字体を定めて漢字を記録するようになりました。
満州族の言語は、アルタイ語系、満州・トゥングース語派に属するようになりました。しかし、満州族は漢族とともに生活し、密接に触れ合ってきたために同化がすすみ、漢語を使うようになりました。
 17世紀後半以降は、清朝の興隆とともに、文法が大きく変わり、満州族のほとんどは漢字と漢語を使用しています。
 現在では、少数の辺鄙な集落で一部の年寄りが満州語を使うだけになっています。
 宗教については、長い間、シャーマニズムやチベット仏教を信奉してきましたが、現在ではほとんど信仰されていません。
 八旗制度は政治・軍事・生産という3つの面を持ち、満州族社会の根本的な制度となりました。
 1636年、皇太極が帝となり、国号も清と改称しました。
 1644年、清の軍隊が山海関の内側に入り、清の王朝は中国の統一中央集権の最後の封建王朝になりました。
また1911年、辛亥革命で清王朝が崩壊しましたが、満州族が中国の統一、国土の開拓、経済、文化の発展に大きく寄与したことは明らかです。

Copyright (c) 2004-2008 日本シルクロード文化センター All Rights Reserved