−モンゴル人の飲食文化の特徴と習慣−

 ミルクティ――紅茶にミルクを入れ、少しの塩とバターを入れます。これはモンゴル人に欠かせないものです。
 馬乳酒――ケムズとも呼ばれ、牛、馬や羊の乳を発酵させてつくるモンゴル人愛飲のものです。主に7月から9月につくります。

 馬乳酒は皮袋で保存します。まず、ラクダや牛の皮を剥いで毛を切り、火であぶります。その皮を10日間くらい燻製します。出来上がった皮を袋にし、熟成した馬乳酒を入れます。そうすると、遊牧生活をするうえで多くの利点があります。ひとつは運びやすいことと、漏れない、圧力に強い、馬に乗せて運ぶのが簡単。もうひとつは長持ちするということです。1つの皮袋は70〜80年も使えます。

 客に馬乳酒を出すときは、主人が「敬酒歌」を歌ってから先にひと口飲み、客に出します。また「ハダ」を上げる習慣があります。ハダは長さ1・5〜2bぐらいの白い布で、大切な客や年長者に差し上げるもの。それによって健康で長生きするように、すべてのことがうまくいくようにと祈り、客に感謝の気持ちを表すものです。現在では、結婚式のときにもハダを捧げるようになってきました。

 名前をつけるのもおもしろい。男の子には、祭り、幸福、結実、勇士、知恵者、金、銀などの名前をつけることが多く、女性には太陽、月、星、花、春花、真珠、玉石などの名前をつける場合が多い。主食は肉やKose=モンゴル語で「闊慈」。羊の頭や脚をお湯で煮て、小麦粉を加え2〜3時間煮ます。夕食時によく食べます。カルシウムを補って、体を強くします。小麦粉にイースト、ミルク、チーズを入れてフライパンで焼いた焼餅などがあります。

 ケーズ(中国語で「馬腸」)というものもあります。モンゴル人もカザフ人と同じようにケーズを食べます。馬や牛の腸に岩塩をつけて燻製した肉を入れたもの。腸詰のようなものですが、腸詰より太く、長いものです。味はしょっぱいですが、冬、体がとても暖まります。冷蔵庫がないので馬や牛の肉を燻製し、腸に入れて保存します。肉をケーズにしておくと、臭くならず、長持ちし、運びやすいのです。

 チンギスハーンが世界に与えた文明

 一代の蒼天の寵児・チンギスハーンは空前の世界大征服を成し遂げた世界史に残る英傑です。彼の貢献は、ユーラシアに東西交易と世界の文明を発展させたことにあります。ユーラシア大陸を結ぶ東西交易路は、数千年の昔から西域の中心部を貫いていました。

 東から西へ、西から東への交易路上で一番の難関は、途中で支配者が違うと高い税金を取られることです。チンギスハーンがユーラシアを手中にすると、途中で税金を取られなくなったのです。西はイランから東は中国、モンゴリアまで、このアジアを横切る交易路上には、当時のもっとも迅速な交通手段である馬と宿駅がそなえられました。それが後年、日本に伝わった「駅伝」です。東西交易が激しい勢いで進められました。アジアの西から東、そしてユーラシア全域に及ぶ地域にパックス・タタリカ(モンゴルがもたらした平和)が訪れたのです。

 チンギスハーンの世界制覇には、数百万人にも及ぶ殺戮もありましたが、それでも人類の歴史の発展に貢献したことは否めません。1246年、ローマ法王インノセント4世の親書を高僧プラノ・デ・カルビニが、フランス王ルイ9世の親書を持ってモンケにまみえた僧侶ギョーム・ド・ルブルクが、そして『東方見聞録』の著者として知られたヴェニスの商人マルコ・ポーロが。かれらはいずれもタタールの平和を享受しつつ、シルクロードを自由に旅した人たちです。

 東から西へ旅した人も多いのです。チンギス・ハーンの西征に従ったキタイ人の耶律楚材やチンギス・ハーンの求めに応じてその幕営を訪れた道士の長春真人などがいます。元代の中国では、飲食物の調理には西方の香料が、そして葡萄酒も愛用され、宮廷ではイスラムの音楽が奏され、ペルシア絨毯が珍重されました。学校ではアラビア文字が教えられ、西方の医薬品も輸入され、イスラム地理学も中国人に多くの知識を与えました。しかし、これにもまして大きな意義を持ったのはイスラム世界の天文・暦学に関する知識の導入でした。元代に使用された天文観測器具の中には、西方イスラム世界の観測器具に関する知識をもとに製作された観測器具がみられ、暦学方面ではジャラール・ウッディーンの「万年暦」もその頃作成されたのです。まさに“世界の文明はモンゴルから始まった“といわれるのも、当然なことではないでしょうか。

  モンゴル民族の歴史と現代

 中国領内のモンゴル族はおもに内モンゴル、新疆、黒竜江、吉林、遼寧、青海、甘粛省などに居住しています。

 ご存知のように、彼らはモンゴル高原に住む遊牧騎馬民族だったので、かなり広範囲に住んでいます。1年の大部分を馬上ですごし、それだけに騎馬民族の誉れ高い民族でしたが、今では定住生活をする人が多くなっており漢化も進んでいます。人口は約500万人。

 そのモンゴルの元王朝が100年に及ぶ中国統治から明によって漠北の地に追いやられると、内部分裂や部族間の戦争が絶えず起こりました。

 モンゴル族は17世紀まで、主に大沙漠の北方にある外モンゴル(現在のモンゴル国)、大沙漠の南方にある内モンゴルと砂漠の西側のアルタイ山脈を越えた新疆のジュンガル盆地などの3地域に広く居住していました。

 かつてモンゴル族はシャーマニズムを信仰していましたが、13世紀中期以降にチベット仏教が伝わり、明・清両王朝時代を通じてモンゴル全域に急速に伝わりました。そのため各地に寺院が建ち、出家する僧が増えました。このようにチベット仏教はモンゴルの政治、経済、文化に大きな影響を与え、仏はよみがえり不滅であるとする活仏転生制度もモンゴル地域で確立しました。

 モンゴルは2200年の歴史を誇る国です。チンギスハーンが1206年に建国してからだけでも、約800年の歴史を持つ国です。1911年、中国に辛亥革命が起こり、中華民国と同時にモンゴルも独立を宣言しましたが、まもなく初代中華民国総統の袁世凱軍に攻め込まれ、漢・蒙の両軍は大沙漠で激突を繰り返しました。

 モンゴル人民共和国の成立は1924年。1992年の第12回大会人民フラル第2回議会で、国名を「モンゴル国」に改称しました。

 中国領の内蒙古自治区においては、文革期の66年に「内蒙古人民革命党」事件がデッチ上げられ、5万人のモンゴル人が処刑・殺害され40万人が逮捕されるなど、血の粛清が行われました。それ以外にもモンゴル民族の統一国家をはかったいくつかのグループが弾圧されました。中国共産党は文革後「内蒙古人民革命党事件は陳伯達のデッチ上げであり、冤罪である」として、そのほとんどの名誉を回復しました。

 ロシア・シベリアにもモンゴル人による「ブリヤート自治共和国」があり、中国は、これに内蒙古自治区を加えた3つの国家がひとつになる運動を警戒しているのです。


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