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タイトルや写真をクリックするとさらに詳しい説明が出ます。 |
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増えた物乞い。今日の稼ぎはいくらになったか |
トルファン・青年路のぶどう通り |
カレーズでわたしの新疆の娘のサラマットと |
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トルファン近郊の農民夫婦 |
ハミの出前による民俗演奏家夫婦 |
途中で行き会った葬列 |
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ハミ王の王墓 |
ハミ・メシュレプの最長老と語る |
オアシスホテル横の保育園の子どもたち |
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トルファンの古老から、街の歴史を長時間にわたって聴く |
「夢も希望もない」と語るシャヤの老人 |
シャヤ県のバザールで |
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町の真ん中でも公害の煙がモクモク |
最貧困のケリビンの友人の家で歓迎される |
元気な声で歓迎してくれたケリビン県の中学生 |
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狼の赤ちゃんも歓迎してくれた |
エイティガルモスクでの礼拝 |
カシュガル・職人街の年寄りたち |
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カシュガルの元気な小学生たち |
カシュガル民族歌舞劇団の女性たち |
クルグズ自治州人民医院で |
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アトウシュの街の床屋さん |
カシュガル民族歌舞劇団の民俗楽器奏者たち |
カシュガル民族歌舞劇団の演奏家たち |
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カシュガル市内の夜間日本語教室 |
外国人には初公開のヤルカンドの王墓群 |
ホータンのポプラ並木 |
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100歳で18歳の娘と結婚して6人の子をなした132歳のおじいさん |
イスラムの墓に翻るチベット仏教の旗タルチョー |
マザール(イスラムの墓)で仏教の数珠を持つ年寄り |
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タクラマカン砂漠を行くロバ車 |
「我愛迩という日本語を教えてくださいませんか?」と聴いてきたボストン賓館のルアニさん |
朝日新聞社から敦煌研究院に派遣された日本人青年研究者たち(中央の2人、左は留学生) |
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ベゼクリク千仏洞付近で発見した古代ウイグル仏教の岩刻 |
100年前、ドイツのル・コック探検隊が宿泊した吐谷溝の民家 |
吐谷溝の聖地に立つチベット仏教の旗タルチョー |
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写真の高昌故城の門は、昔の正門があったアスターナ村近辺 |
高昌故城を散歩するラクダ君たち |
カレーズに立つ敦煌研究院での研究をおえた長谷部圭紅さん |
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トルファン上空を初めて自家用飛行機で飛んだ男と |
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敦煌に向かうゴビ灘から夕陽を見る |
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甘粛省と新疆の省境・星々峡 |
ピシャンの回族の(小さい)モスクのアホン |
ロクシュンの古老とサラマット |
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ロクシュンの高校生のマラソン大会 |
ロクシュンの古城 |
トルファン・ぶどう溝の舞姫たちと |
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アルズグリ先生のご両親 |
イーニン市のロシア族と |
新しく私をお父さんと呼ぶ娘ができました |
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イリのヌルタイ・アジ孤児学校 |
イリの友人の家での昼食風景 |
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イリの孤児学校の所有者・
ヌルタイ・アジさんと懇談 |
コルラ近辺の天山山脈を行く |
クチャ大寺 |
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パミール高原のカラクリ湖、クンジュラプ峠を歩く(2004年8月) |
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カラコルム・ハイウエーを行くタジク族の家族 |
ロバ車でバザールに |
カシュガル郊外のポプラ並木 |
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香 妃 廟 |
ムハメット・カシュガリー廟 |
カシュガル郊外のバザール |
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ホータンのアトラス生地製作工場 |
クルグズ(キルギス)族の遊牧民 |
カラクリ湖からみたムスターグ・アタ峰 |
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タシュクルガンの石頭城からパミール高原を眺める |
タジク族の娘さんと |
パキスタンとの国境・クンジュラプ峠で |
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8月のカラクリ湖 |
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ホータン郊外の中学生たち。サングラスをちょいと拝借 |
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メキトのメシュレプとは? |
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民俗芸能家のエヘット・トフティさん |
メシュレプの踊りを見るメキトの娘たち |
メキトの結婚式に集うウイグル族の村人たち |
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メキトの集落の古老たち |
メキト特有のメシュレプの踊りの一種 |
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シルクロード・中国周縁諸民族の顔 |
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モンゴル族の娘さんと
―ウルムチ郊外の南山牧場で− |
タシュクルガン郊外の
タジク族の女性三代 |
キルギス(クルグズ)族の結婚式風景
−タシュクルガン郊外で− |
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ウイグル族の激しいサマーの踊り
-カシュガルのレストランで- |
新疆芸術学院卒業の友人の
女優さんたち
左・ズリパール、右端・ハリシャー
その左・マイヌールたちと
みんなわたしの娘たちです |
パキスタン国境に近いタシュクルガン
岩の城は、玄奘三蔵も通った古城 |
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天山山脈で−ボゴダ峰概略 |
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天山山脈の支脈 |
天山山脈ボゴダ峰周辺の
無名峰(約4000m)に初登頂
03年8月 |
同峰へ向かう途中、
馬で激流を越える
わたしは馬が大好き |
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ウルムチ郊外の水西溝スキー場で、
リフト替わりの馬で上部へ |
ハリシャーさんにスキーを教える
このとき私は束の間、
ゲレンデのスターになった |
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トルファン学国際シンポジウムに出席−報告文書 |
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同学会で発表。
翻訳と通訳は立正大学大学院の
アルズグリ先生
01年8月 |
中国と諸外国から集まった
学者たちみんなで記念撮影 |
3000基つくるという
ウルムチ郊外の風力発電塔 |
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ベゼクリク千仏洞
このとき、実に摂氏52度 |
故城追憶−高昌故城 |
大乗仏教と小乗仏教の
融合の地・吐谷渾の遺跡 |
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新疆・カシュガル編 |
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カシュガルの職人街の馴染みの
楽器屋さんで
02年7月 |
中央アジア各地からも、
この職人街へ買い付けに来る
98年8月 |
カシュガル郊外の家畜のバザール
03年9月 |
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カシュガルのレストランで、
かわいいお譲ちゃん
96年7月 |
カシュガル郊外モルトン・ブッダ遺跡
03年9月 |
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シルクロード各地 |
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クチャ郊外のクズルガハ烽火台
漢人ガイドはこの烽火台を
「万里の長城の延長です」と
平気でウソの説明をしていた
98年 |
ホータン郊外のメリカワット遺跡
01年7月 |
北疆の石油の街・カラマイ
01年 |
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チベット高原で |
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ラサのポタラ宮全景 |
チベット高原の道で出会った兄と妹 |
チベット高原の旅は
毎日こんな光景が
何回も繰り返される |
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山と虹とオオワシと・・・
そしてチベットの天 |
山の頂きや峠は聖なる場所。
必ずタルチョーがある |
ついに幻の野生のロバ
“キャン”を見た! |
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コトのついでに、フランスで・・・・ |
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フランスのスポーツ団体「FSGT」の総会と国際シンポジウムに出席
新日本スポーツ連盟代表として
97年10月〜11月。フランス南部のポー市で。 |
FSGT登山部門のメンバーと懇談 |
シンポジウムの間、こんな息抜きも |
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こんな手厚い歓迎交流会も
あったりして・・・・・
幸せな人はムサビの伊藤先生 |
会議のあと1人でアルプス・モンブランのふもとの町シャモニへ。
1924年に開かれた冬季オリンピックのモニュメントの前で |
フランス陸軍憲兵隊山岳救助隊長と |
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創立70周年を迎えて
記念硬貨も国が発行した
山岳ガイド組合長と |
フランス・国立スキー登山学校の
責任者と |
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あれこれ |
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1990年の労山創立30周年記念で
カザフスタンの天山山脈へ140人も。
C2(3800m)のメルツエンバッハに
ヘリで |
ある集いで登山に関する講演
99年5月 |
日本ヒマラヤ協会の華甲忘年会で
還暦を迎えた記念に。
肩にかけているのはチベットの
カムパ族のカタ
03年12月 |
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ヨーロッパアルプスで。
左は添乗員の奈苗さん |
敦煌・莫高窟前で、狛江山遊会の
仲間たちと
97年5月 |
ネパール・ポカラの
チベッタンホテルで
オーナーと息子の克也と
01年1月 |
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