タジク族

タジク族は昔から古代中国と西域および中央アジアとの交通の要衝であった、パミール高原のタシュクルガン地方に集住していました。  
「タジク」という名前は「王冠」という意味です。タジク族も長い歴史をもち、643年、玄奘がインドから経典を持って帰国する途中、カバンタ国(タシュクルガン県境)を通過した時のことが、「大唐西域記」の漢日天種の神話物語にも記述されています。 
1954年9月12日、タシュクルガン・タジク自治県が設立されました。
タジク族は春になるといろいろな作物を蒔き、夏になると家畜の群をパミール高原で放牧して暮らし、秋になると村に戻って作物を収穫し、冬を越すという移牧=定住半分遊牧半分の生活をする民族です。
タジク族はバター、ヨーグルトなど乳製品を好み、ミルク入りのお茶(エテイケンチャイ)と肉類をごちそうとしています。  
衣服では、男性は衿なしの前合わせの長いコートを着て、ベルトを締め、冬は毛のついた羊の皮で作ったオーバーコートを着ます。頭には子羊の毛皮でつくった丸い山形の帽子をかぶります。結婚している女性はうしろまでつながったエプロンをつける人が多く、刺繍のある丸い帽子を被り、外出するときには帽子の上に白い四角いスカーフをかぶります。
冬は男女ともフエルトで作った靴下を履き、羊や野生の動物の皮で作った靴を履きます。
住居については、木や石で作った家に住み、通常、入り口は東向きです。
タジク族の世代は、3世代同居が一般で、男性が家長となります。子供の誕生は大きなお祝いごとであり、親族や友人がお祝いに来て、赤ちゃんの体に小麦粉をまくなどして、縁起をかつぎます。
タジク族も礼儀を重んじ、客をとても大切にします。客が贈り物を持っていくと、「心から歓迎しますので、どうか、私の家を訪問して下さい」という意味になります。タジク族も、馬に乗って羊の群の中を横切ることはタブーになっています。
また食後は奥さんなどが食器を片付け終わってから、家長が「ごちそうさまでした」を表す「アーミン・アッラウ・アクバル」と両手を挙げて唱え、みなが唱和してから席をはずすことができ、会話する時に帽子を脱ぐことは禁じられています。

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