タタール族は主に旧ソ連領に居住する民族ですが、中国領では新疆に集中しています。人口140万人のウルムチ市でタタールは約600人。全国でも約5000人という少数民族中の少数民族です。

 タタールの男女は刺繍した帽子が好きです。女性はおしゃれで、白や黄色や紫色の長いワンピースを着て飾りつけるのが好みです。

 結婚式では甘い水を飲むのが特徴です。結婚後に甘い生活ができるようにという願いがあるからです。結婚式が終わると新郎はしばらくの間、お嫁さんの実家で生活します。子どもが生まれる頃までいることもあります。ですから、新郎は義理の両親からとても大切にされます。

 そのタタールは、ロシアのヴォルガ河中流域に定住したヴォルガ・タタールとロシア帝国に分散したその末裔のトルコ系イスラームを指します。

 ロシアでタタールという言葉は、元来、モンゴル系遊牧民の呼称でしたが、トルコ系イスラームをその名称で呼ぶようになりました。

 タタール族は、近代的な知識の担い手として、少数民族の独立を求める民族運動において指導的役割を果たしました。新疆におけるトルコ系諸民族に新しい知識、思想などを伝えた主要な民族のひとつはタタール族でした。

 チェチェン独立の戦いでもロシア国籍のタタール人は、「祖国」ロシアに銃を向けて戦いに参加しています。

 20世紀に入ってからは、短命に終わった新疆のイスラム系諸民族による33年の東トルキスタン・イスラム共和国政府樹立の戦いの際には、省政府軍に組み込まれていましたが、44年の東トルキスタン共和国政府樹立には積極的な役割を果たしました。

 その後の国民党新疆政府との戦闘でも民族軍の一翼を担うなど、新疆の歴史に直接、関わってきました。

 毛沢東がこの民族の独立と自治をめざす運動を、誤って「人民革命」と規定し評価した結果として、イーニン市中心部の公園に建設された歴史記念館と烈士の墓碑があります。

 しかし現在では、ここが新疆の少数民族による分離独立運動の思想的源泉だとされており、一介の旅行者である私の記念館参観でさえ公安に露骨に妨害されたことがあるほどです。

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