日本シルクロード文化センター

第4回シルクロード講演会(2010.11.14)の報告
11月14日日曜日。狛江市は年に一度の「市民まつり」の日でしたが、私たち日本シルクロード文化センター主催も、年に一度の「シルクロード講演会」を開きました。

今回の会場は、狛江駅のすぐ横にある「泉の森会館」3階のホールです。ここは5年前の2005年11月に、日本シルクロード文化センターの前身である「シルクロードクラブこまえ」発足総会を行なった会場です。今では民間の文化的なコミュニティセンターとして多摩全域からも注目されているところになっています。

今回の講演会のテーマは、「ウイグルの歴史と現状」。講師は私野口がつとめました。
私はこれまで、ウイグル人が多く住む新疆には30回以上、40回近く通っています。しかし、改めてウイグルの歴史をお話しするとなると、私の知見とその史料があまりにも少ないことに愕然としました。

無論、手にすることができるあらゆる資料や史料を見ましたが、なんといっても大きな収穫は、10月25日から今年2回目の再訪となった、モンゴルの首都ウランバートルの「国立民族博物館」に陳列してあったウイグルにかかわる史料でした。

お金を払えば写真撮影はOKでしたが、博物館が設置してある照明がなんとも都合の悪い位置にありました。各種のロシア語と英語の説明文がありましたが、その撮影した英文をカナダ在住の友人にメールで送って翻訳してもらいました。すると、国立にも関わらず、なんともひどい英文になっているので翻訳不可能だという返事をもらいました。それでも直訳してもらって、私なりの文章にしました。

さらに気を配ったことがあります。
それは、講演をするうえでは、単に知り得たウイグルの歴史を羅列するだけではなく、私なりの「史観」で整理することでした。その「史観」というのは、モンゴル高原に興った遊牧騎馬民族が人類史に果たした歴史的な役割を鮮明にすることでした。 そのためには、まず、「ウイグルの歴史年表」を作成しました。

もうひとつは、近現代にいたっての、ウイグルにおける分離独立運動の歴史をどのような視点からみるかということです。 それには、1944年に東トルキスタン共和国が成立し、ヤルタ会談で列強の国際的な取引の犠牲になった共和国の本来のありようを明らかにすることでした。

その遠因は、戦前の日本支配層による「大東亜共栄圏」の考えでした。当時まだ、欧米の植民地が多数を占めていたアジア地域(日本も植民地を持っていました)は、独立の志向が極めて強い地域でした。その志向に便乗したのが、この戦前の「大東亜共栄圏」という虚構の考えでした。

無論それは、アジア太平洋戦争でもろくも崩壊したのですが、現在のウイグルやチベットにおける分離独立の運動にたいして、現在の日本の運動の一部に、この構想をもとにして外部から進めようとする勢力がいることですし。

さらに問題は、この勢力が右翼暴力団と結び付いて動いていることです。反社会的な勢力と結びついた運動が、多くの国民や国際的な理解と支持を得ることは不可能です。当然それは、該当する方がたや、その運動に結果的には大きな損害を与えます。

日本の政治の動きや政党分布などに疎い、在日外国人の方々を、この勢力が取り込もうと画策している実態は、多くの日本人に理解できないことでもありますが、私のお話は関係者に警鐘を乱打する意味もありました。

話のあとの質疑では、たくさんの質問が出されました。講演内容が「歴史」という堅い内容と微妙な問題が多かったので、シルクロードのロマンたっぷりの写真もたくさん準備していたのですが、結局、質問とお答えする時間に時間が全部費やされました。皆さんの関心の高さに脱帽でした。

ともあれ、講演会はおよそ50人の参加で成功しました。泉の森会館のスタッフの方々も「ずいぶん沢山の方々が見えましたね」と言ってくださいました。

後半のグリザルさんによるウイグルの民族舞踊と、東京芸大の先生でもあり新疆芸術学院の著名な演奏家でもあるセミ先生のウイグル楽器の演奏も、これまた大きな共感と拍手を得ました。私の拙いお話よりも素晴らしいものでした。

私たちは毎月1回「シルクロード講座&サロン」という小さな集まりを開催しています。会場は和泉多摩川駅近くの「みんなの広場」というコミュニティスペースです。会場は小さいですが、講師陣は各分野の一流の方に来ていただいています。サロンは気軽に異文化に触れ、また交流の場でもあります。
今回の講演会においでになった皆さん、ぜひ、「シルクロード講座&サロン」にも、足をお運び下さい。
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第4回シルクロード講演会のお知らせ
第4回
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