日本シルクロード文化センター主催
シルクロード講座とシルクロードサロン
第10回:2010年3月6日(土)13:00〜16:00
シルクロード講座:
「女性探検家が見た社会主義革命後の中央アジア」
― Ella Maillart と Anna Louise Strongを中心に ー

          講師:井手マヤさん(会議通訳者、中央アジア研究者)
シルクロード・サロン:「タジキスタン」
          講師:井手マヤさん
場所=「みんなの広場」(小田急線和泉多摩川駅から歩いて5分)

第10回の様子(報告:周東)

第10回目の「シルクロード講座&サロン」は28名の方々が参加されました。「みんなの広場」は小さなコミュニティスペースなので、場所づくりが大変です。

様子

まずは事前にいただいた講師の井手マヤさんの自己紹介。

[略歴]
1951年生まれ。1959年まで5年間お父さまの駐在に伴いインド滞在。
慶応義塾大学文学部東洋史科卒。米国オレゴン州立ポートランド大学・都市計画大学院で修士号取得され、 日英会議通訳、コングレ通訳翻訳養成学校本科講師、ディプロマット通訳養成学校本科講師をされています。

[主な中央アジア旅行歴]
中央アジアの仏教遺跡、近現代史、特に19世紀から20世紀初頭の中央アジア探険史に興味の中心があり、探検家の足跡を求めて、最近はほぼ毎年パミール高原を訪問。
1973年:ソ連領中央アジア―ウズベキスタン、キルギスタン、タジキスタン〔ペンジケントのみ〕およびアフガニスタンを初めて訪問。
1986年:パキスタン訪問。カラチを起点に、インダス川に沿ってパキスタンの平野をスワートまで縦断。タクシラなどの遺跡を訪問
1995年:中央アジア考古学者の加藤九祚先生とキルギスタン、ウズベキスタン、タジキスタン(ペンジケントのみ)の主な仏教遺跡を視察。
2004年:パキスタンと中国の国境ミンタカ・キリク峠のパキスタン側をトレッキング。パキスタン領内のカラコラムハイウェーを自転車で走破。
2005年春:タジキスタン南部のアジナ・テペなど仏教遺跡視察
2005年夏:タジキスタン領内のワハン渓谷、パミール高原、キルギス領内のアライ渓谷、フェルガナ盆地を周遊。
2006年夏:タジキスタン領内のワハン渓谷、パミール高原の内奥部をトレッキング。20世紀初頭の中央アジア探検家の足跡をたどる。
2008年春:タジキスタン南部のヘレニズム時代の遺跡タフティ・サンギンを含むアフガン国境沿いの遺跡を視察。
2008年冬:厳冬期のパミール高原に入り、マルコポーロシープなど希少動物の撮影をする。

[主な海外自転車ツーリング歴]
趣味は長距離の自転車ツーリング。
ブルベ〔フランス語で「認定」という意味〕の長距離自転車走のイベントを主催する組織、オダックスジャパンの創設メンバーの一人。オダックス・ジャパン神奈川の前代表、ブルベを走り、主催もしている。
*ブルベとは200km、300km、400km、600kmの距離を規定の時間内に完走すれば、フランスより「認定」とメダルが貰える自転車遊び。その最高峰は四年に一度フランスで開催されるパリ―ブレスト―パリ1200kmを90時間以内に完走すること。パリ―ブレスト―パリは1890年代 より行われている伝統あるイベント。
2000年:カナダ南西部フレーザーキャニオンを中心の600kmブルベに参加、日本にブルベを導入。
2003年:パリ―ブレスト―パリ1200kmに参加
2004年:中国とパキスタンを結ぶカラコルム・ハイウェーを、国境のフンジュラーブ峠よりパキスタンのギルギットまで走る
2005年:スイス周遊
2007年:パリ―ブレスト―パリ1200km
2008年:台湾中部南部周遊

[中央アジア関連の発表]
パミール・中央アジア研究会、ハルブーザの会、アフガニスタン文化研究所、立川市民講座、鎌倉YMCAなどでタジキスタン旅行や現状について発表。

講演は、5人の女性探検家の紹介から始まりました。初めてパミールを越えて、カシミールまで夫と 行ったテレサ・リトルディール、インドのラダック、ク―デルタン地方に行った イザベラ・バード、仏教、サンスクリットに造詣の深いアレクサン ダー・デービッド・コール、『西域への沙漠の道』の著者・探検家の夫を持 つエリノア・ラティモア、アイルランド人ですべてのコースを自転車で東 欧〜イランを踏破、ヒッピーのバイブルにもなった著書を著したダ―ブラ・マーフィーの業績を紹介。

本題の アンナ・ルイス・ストロング(Anna Louise Strong、1885〜1970年) は、米国人で、1917年のロシア革命のあと、世界各地の先進国で労働運動が盛んになりました。アメリカとくに西海岸も労働運動が盛んでした。
彼女は各地の労働運動にかかわりながら、ジャーナリストとしてゼネストを支持する記事などを書き、警察の弾圧を受けるなどしましたが、1921年、ポーランドとロシアを旅行、その後、通信社のモスクワ駐在員となり、社会主義ソビエトの支持者となりました。

ソビエト滞在中の1929年に変貌してゆく中央アジアの様子を女性ならではの視点で報告した『サマルカンドの赤い星』を出版しています。
第二次大戦中にはソ連の赤軍部隊と一緒にナチスドイツ占領下のワルシャワやグダニスクなどの解放に同行したとあります。
後に「韃靼通信」の著者 Peter Flemingと北京からカシミールまで走破しています。
後にスターリンの政策に反対し、中国に移住し、なくなるまで名誉市民として中国で過ごしました。

2人目の女性は、スイス人のエラー・マイヤール(Ella Maillart 、1903〜1997年)です。
彼女は日本ではあまり知られていないようですが、女性冒険写真家、ジャーナリスト、旅行家として有名だそうです。
1924年にはヨット競技でオリンピックに出場して9位、1929年にはスイスのアイスホッケーチームのキャプ テンとして世界選手権で優勝、1931年〜34年には、連続してスキーのワールドカップにスイス代表としても出場しています。

一方、1930年からはモスクワに向かい、コーカサス(今はカフカスといいますが)方面を旅行、黒海、クリ ミア半島をまわってモスクワに戻り、旅行記を出版、その印税でフリーランスのジャーナリストとしてロシアの状況を伝えたり、ソ連領中央アジアを天山山脈まで旅行、さらに1934年には「満州」に行き、日本兵の暴行行為を受けるなどの体験もしたそうです。
女性探検家が残した報告書は男性のそれと比較してより生活者の視点が反映されていて、読み物としては面白いそうです。

様子
サロンでは、タジキスタンの自然の美しさをスライドを使って紹介。
川を挟んで、舗装されたタジキスタンの道路と川の向うの崖沿いに細々と続くアフガニスタンの道路で、同じタジク人でありながら生活の格差を実感しました。
また講座で話された女性探検家達は、もともと資産家の娘が多いが、夫が金持ちで、しかも早死にして自由に探検旅行ができたのだそうです。
ウズベキスタンと日本、タジキスタンと日本の関係は、日本外交がなんの影響力を及ぼしていないとのこと。
「バスチマ運動」にも話が及ぶなど、話題は多岐に渡り、参加者はマヤさんの巧みな話術にすっかり引き込まれたようで、終了後の交流会でも談論風発でした。

<問合せ先> Tel & Fax: 03-3480-4478(野口)
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