第6回の様子(報告:周東)
第6回目を迎えた「シルクロード講座&サロン」は16名の参加で行われました。
今回はシルクロード研究家の本多海太郎さんを講師にお迎えして、シルクロード中の難所であるパミールとはどういうところか? 人々はどういう状況の時にどのルートを採ったのか? 19世紀以来の探検調査は、どう行われたのか? そこは、現在どうなっているのか? など興味深いお話を伺いました。
シルクロード講座:
本多さんのレジュメをもとに、内容を簡単にご紹介します。
◆何故 シルクロードなのか
学生時代に中国史を学んだが、当時はシルクロードへ行けなかった。
定年近くなって行くことが出来るようになった。
◆何故パミールなのか
・オアシスはみんなが行っている。
・パミールは登山家だけの世界だった。
・政治情勢から今まで行きたくても行けなかった所
・シルクロードの結節点、分岐点として重要な所
◆所謂シルクロードには大きく分けて三つのルートがある
1 草原の道
2 オアシスの道
3 海上の道
◆オアシスの道の結節点がパミール
◆パミール通過にも大きく分けて三つのルートがあり、使われ方からの分類も出来る
1 民族移動の道:人間、家畜 草のある所を選ぶ
2 交易の道:政治状況、軍事状況により、より安全・有利な所を選ぶ
3 軍事行動の道
◆どのルートを通るかは目的に応じて。
特に2の通常の交易の場合、その時の政治情勢に応じて選択
言い換えれば、常に政治的理由からメインの通行路は選ばれる
現代でも同じ 中国がタジキスタンの道路整備に力を入れるわけ。
◆パミールを通った人たちの記録から
法顕 宋雲・恵生 玄奘 悟空
マルコポーロ
張騫 甘英 李広利 高仙芝
19世紀以降の探検家達
J・ウッド F・ヤングハズバンド S・ヘディン
G・N・カーゾン A・スタイン 大谷光瑞他
(平位 剛 本多・井手)
アフガニスタン―中国(特に清朝の西域拡張)
英露のグレートゲーム
ソ連のアフガニスタン侵攻
◆パミールの旅行事情
ガイド 道路 宿 食べ物 風景 動物 温泉 軍隊 他
たくさんの美しいスライドでパミールを紹介していただきました。
◆冬でも通行可能 むしろ冬の方がいいことも
3000〜4000メートル以上でも南のパミールは雪は少ない
雪から枯れ草が出ている(駄獸のエサがある)
川は凍結 障害物のない通路 虫がいないので快適なことも
次にすばらしい写真をご紹介します。
| マルコポーロが報告した「パミール山中の大きな羊(俗称マルコポー・ロシープ)」の群 |
| アムダリア(ギリシャ語ではオクサス)の源流の一つ、ビクトリア湖(現地の
言葉でゾルクル) |
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冬のパミール山中で放牧をする(キルギス人)家族のユルト(テント) |
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パミール山中の小部落。氷河谷が砂礫で埋め尽くされた平原をパミールとい
う。 |
シルクロードサロン:
日本シルクロード文化センター代表 野口信彦さんが、2007年1月から2009年3月までのシルクロード講座をまとめた近著「シルクロード―10万年の歴史と21世紀」で伝えたかったことを紹介しました。
終了後は恒例の交流会。楽しい話題が飛び交っていました。 |