2006年  

「シルクロードクラブ・こまえ」5月ツアー

4月29日(土・祭)〜5月5日(金・祭)帰国

4月29

  成田から中国の首都北京へ。「成田第2」に全員12名が定刻に集合。   

この日は1年で一番混みあう日。車は避けて、電車で行く。成田EXPだと新宿7時07分発で成田第2に8時34分着。飛行機は一路、北京へと思ったのだが、どうも様子が違う。上海に着いてしまった。平和観光からは一言も聞いていない。同行の別のツアーのガイドに聞いてみると、初めから上海経由だとのこと。3時間以上の遅れで北京到着。ガイドは大きな声で「待ちくたびれました!!!」と叫んでいる。バスのなかのガイドは、本当なのかほら吹きなのか(後者だろうが)、いや本当の大ぼら吹きだった。飛行機の北京着が予定より遅かったため(飛行機が遅れたわけではなく、当方の確認ミスである)、故宮見学はなくなり、天安門広場を歴史博物館側から見ただけで北京は終わった。勿体ない一泊ではあった。

30日 

朝、北京の首都空港から敦煌へ飛び、太陽能(エネルギー)ホテルに荷を降ろす。一昨年の一人旅のときに宿泊したホテルである。いつまでも「枯れない湖」月牙泉で遊び、夕陽の鳴沙山で旅の疲れを癒す。だが、この小さな湖も1970年代まで約16,000uあった湖水面積が現在では約3分の1に減っている。7・5mあった最大水深も最近の計測では1mに減少したという。

※ツアー期間中の5月8日付のしんぶん「赤旗」は、「涸れぬ湖」消滅の危機−中国・敦煌の砂漠化深刻に、とする記事を掲載しています。その紙面の概要を紹介します。

月牙泉に数千年にわたり水を供給してきたのは周辺の河川から染み込んだ地下水ですが、水位の急激な低下が続いています。また中国北西部で進む降水量の減少に加え、上流のダム建設や敦煌の人口増、農業開発による井戸水の過度の採掘などで、地下水の水位が70年代と比べ10m以上低下しました。このため月牙泉に年間500万立方bの水を直接補給する事業も2001年から始まりましたが、湖水の縮小傾向に歯止めはかかっていません。影響は月牙泉だけではなく、敦煌市内の自然林の面積はここ数十年で約4割減少し、草原も7割以上が消えました。砂漠が急速な勢いで拡大し、約18万人が住む市街地の水不足が問題化しています。さらに、地下水の供給が激減したために「このままでは敦煌の街も、新疆の砂漠に埋もれた古代都市、楼蘭の運命をたどる」と警告する声を紹介しています.
ツアーメンバー12名のうち6〜7名が鳴沙山に登る。“敦煌へ行ったら、夕陽の鳴沙山を見よ“といわれるくらい、鳴沙山の夕陽は絶景なのだが、時間の関係で夕陽まで滞在できなかった。みんなおそらく初めてのラクダ。ご他聞に漏れず、“月の砂漠を〜〜”をうたっている人がいた。幸せだったのだろう。勝手にラクダに乗っている写真を撮影する業者がいたが、やはりこれもみんなが買う。そうこうしているうちに出口を出てからKさんがいないことに気付き、みんなで探す。彼女は私たちが写真を買っていることに気がつかないで、駐車場に行ってしまったのだろうと思って、行ったがみんないないのでパニ食っていた。申し訳ないことをしてしまった。

5月1日

 中国全土はこの日から大型連休のスタートである。だから4月29日の土曜日と30日の日曜日は国中が振替出勤や登校日になる。そういうことを国が決めてしまうのだから面白い。

  この日の敦煌博物館と莫高窟観光も大変な人出だった。だが、やはり莫高窟は圧巻。友人の接待部長(ガイドを掌握しているセクション)の季萍さんは交代勤務と会議で会えなかったが、優秀な女性ガイドがついてくれた。途中、彼女が説明を始めると漢人が入って来ようとしたが入り口で要員に止められていた。彼は大きな声で、「日本人が入っていてどうして中国人が入れないんだ」と怒鳴りながら入り込んできた。だがガイドの彼女が冷静に大声を出すことを制止しても「イヤ、おれは叫ぶ!」と言って怒鳴り始めた。しかし、我々も冷静に聞いていると窟内の静寂さが彼を圧倒したのか、彼は次第に声が小さくなり、やがてコソコソと出て行ったのである。ことほど左様に、中国人はこと日本人となると露骨に敵意を見せるのである。悲しいことである。小泉首相の靖国神社参拝が原因なのだが、かつては「アメリカ帝国主義と日本の反動政府は日中両国人民の共同の敵である」と言っていた、あの中国はどこへ行ってしまったのだろうか。小泉自公民政府による「靖国参拝」などの妄動が大きな影響を与えていることと、日中友好を志向し、平和を希求する日本の国民を区別してみることができないという政治的危うさがある。

陳列館はガイドがつかなかったので自由に鑑賞できたが、やはりガイドは必要であった。

このあと、柳園駅(敦煌市内からかなり遠い)まで行き、夜行列車で新疆のトルファンへ向かう。その前に、西田敏之が出演して撮影された映画「敦煌」のロケ現場の「敦煌城」に寄る。
また新聞の紹介である。旧聞に属するが3月26日の朝日新聞。見出しは、「砂漠の宝 水に泣く 敦煌・莫高窟 消えゆく名画 仏の首に亀裂 顔一面カビが覆う」となっている。

「シルクロードの「砂漠の美術館」として知られる中国・敦煌の莫高窟が壁画の劣化に頭を悩ませている。剥落や亀裂、カビの繁殖による傷みのほかに、壁画の広い範囲が下地ごとはがれ落ちるなど瀕死の状態のものも少なくない。地下水や雨水などの湿気が地中の塩分を溶かして化学変化を引き起こす塩害が、仏教美術を痛めつけているようだ。東西交流の息吹を伝える壁画を守ろうと、地元の敦煌研究院は日本の研究機関や大学と協力しながら、保護対策や修復作業を進めている」。 0412月、トルファンから700kmを長躯車で出かけた際、敦煌研究院の季萍さんに会って話したときに伺った。「今、北京の中央からも幹部が来て会議をしているのですが、莫高窟内への入場者数が多くて壁画の痛みが激しいので対策を検討しているところです」と聞いた。敦煌・莫高窟は中国と世界の財産である。叡智を集めてよい対策がとられることを切望したい。

2日

朝早く、龍園からトルファンへの快適な汽車の旅も終えて、トルファン駅に着く。幸いわたしたち12名は4人ずつ3つのコンパートメントにおさまり、それぞれ交流をしながら楽しい旅を続けた。駅にはヌルさんが待っていてくれた。今日はもともと薄い頭の毛を剃り上げており、まるでまったく髪の毛がないようである。

トルファンはもともと仏教王国であったが、ホータン、カシュガルにイスラームが伝来して以来、タクラマカン沙漠周縁のオアシスが次々と陥落してイスラームになっていった際、最後にイスラームになったのがここトルファンである。その間、400年にわたる熾烈な宗教戦争が経なければならなかったのである。

トルファンはカシュガルとならんで、もっともシルクロードらしいシルクロードといえる古都である。仏教遺跡の旧都・トルファンで孫悟空の火焔山、玄奘三蔵も滞在したことのある高昌故城、麹氏高昌王家の墓地であるアスターナ古墓やベゼクリク千仏洞、天山山脈からの雪解け水を引いてきた地下水路のカレーズなどを観光のあと、ウイグルの民族舞踊を鑑賞。説明と紹介は省略する。



3日
ウルムチ郊外にある高原の桃源郷「天池」に行く。この日は朝からあいにくの曇り空。「この分だと、山は雨だんべ」という昔からの言い方があるが、本当にこの分では天池大雨だろうと思った。「天池は絶対に雨だから、キャンセルして国際大バザールで買物でもしたほうがいいよ」と何度もヌルさんに進言したがダメである。すでにレストランを予約し、入園料も支払っているのだろう。しかし決行したことが成功であった。私たち一行がバスで天池に到着してから、電気自動車に乗り換えて天池のほとりに進み始めた、ちょうどそのとき、雲がサーっと開いてボゴダ峰が見えてきたのである。まさに奇跡であった。ひとしきり写真撮影などをし、天池の自然を満喫したあと、再び、ウルムチに帰ろうとしたときには、天池は再び、大向うをうならせた千両役者の舞台がはねたあとのように、濃い雲のなかにその姿を隠したのである。

☆天山天池

主に天山山脈山ろくに居住している遊牧民のカザフ族は、天池をボゴダコリ(神山の湖という意味)と呼んでいる。海抜2000m近い高所にあるので天の池という。大昔、西王母が住んでいた場所というので、清朝時代以前から、道教の寺院・西王母廟(ニャンニャン廟とも呼ばれる)と八つの寺廟を作った。

1992年、台湾の「慈恵堂」の投資で西王母廟が再建され、西王母の黄金像が建てられた。毎年、多くの巡礼者が訪れている。
ウルムチにもどる途中、はるかな草原にヒツジやラクダが放牧されていると「アッ!ヒツジがいる! ラクダがいる!!」と感嘆の声がしきり。私にとってはもう当たり前の光景なのだが、始めてみる人にとっては、その一つ一つの光景が刺激になるのだ。この初心を忘れてはならないと思う。バスのなかではわたしのリクエストでヌルさんに「達坂城」を歌ってもらった。日本人であると、そのようなときに「いやぁ、わたしなんか・・・」などと照れるが、ウイグル人はそういうことはない。スッと素直に歌い始める。民族性の違いであろう。

やがて会社の中青旅(中国青年旅行社新疆支店)が購入したばかりだという最新式のバスは市内の新疆ウイグル自治区博物館へ。自治区創立50周年を期して何年もかかって改装された博物館は、学芸員や研究員の努力のあとがかなり見られた。だが、展示物をかなり早く案内するガイドと思われた人物に「みんながついて来る前に説明を始めるとあなたの説明を聞けない人が出るから、みんなが集まってから説明してくれ」と言うと、ものすごい剣幕で「時間がないんです!」と怒鳴る。ま、みなさんは「楼蘭の美女」とご対面できた。ひと当たりまわってからみやげ物売り場に行くのだが、さきほどの「ガイド」は正式の「ガイド」ではなく、みやげ物売り場の販売員なのである。だから時間を急がせて、早く売り場に案内したかったのである。博物館側がこのようなやり方を許していると自縄自縛になることに気がつかないのだろうか。ここの館長は、わたしが2〜3年前に訪れたときには、逮捕されていて不在だった。逮捕の理由は、貴重な国家の遺産を盗まれたからだとのことだが、真相は不明である。多分、陳列品の売買にかかわる金の問題であろうということは容易に想像がつく。

じゅうたん工場の見学と国際大バザール見学。そして道路の向かい側にある「二道橋市場」での買い物。シルクロードでの初めての買物で女性の中には興奮気味になっている人もいる。わたしも「シルクロードクラブ・こまえ」としての物産展やバザール用に、いくつもの買物をした。

ホテルは四つ星の新疆大飯店に宿泊。このホテルは以前、オーストラリア資本のホテル・ホリデーインだったが、どういうことかこれも2〜3年前から、現在の名称に代わっている。この日の夜は、新疆最後の夜である。シルクロードからの送別会である。一人部屋利用のKさんの部屋で交流会となった。大きな笑い声で楽しくやっていたが、12時過ぎてから部屋の電話が鳴った。みんな「私たちが、騒いでいるのでうるさいと言う苦情の電話なのだろう。終わろう!」と言うことになったが、あとから分かったのは、この電話は苦情ではなく、マッサージ、それも特別のマッサージのお誘いの電話だったのである。しかし、翌日、ご夫妻で参加のTさんが、「余りにもうるさいのでそろそろ電話しようかなと思っていたら、終わったようだった」と言う。これが漢人たちだと、傍若無人に大声でマージャンをしたり、特別サービスの女性たちを部屋に引き入れて、乱痴気騒ぎを繰り返すのである。

4日
朝早く西安に向けて飛ぶ。西安は雨だった。昨夜、ウルムチで暑いと思って薄着で寝たことがまずかったようで、風邪気味のところ、さらに雨で余計に調子が悪くなってしまった。
 強烈な印象を与える兵馬俑を観光。兵馬俑はいわずとしれた秦の始皇帝の軍隊の俑。その規模とダイナミックさに誰でもが圧倒される。“百聞は一見に如かず”であろう。時間がないので、そのまま大雁塔へ行く。体調不良のわたしは、ついにここで大雁塔の案内と見学をパス。バスのなかで篠突く雨を見やりながら、うつつの世界をさまよったのである。しかし、そこは不死身のわたし。みなさんがバスに戻ってくる頃には、すっかり体調を取り戻していたのである。
ここ大雁塔は、雁を食べようとしている鷹に僧侶が自らの腿の肉を分け与えて、雁から感謝されたという、さまざまな伝承がある。

5日
早い時間のフライトなので、上海経由で帰国するみんなを見送り、北京経由で関西空港に帰る都倉さんを見送る。わたしは3時間後のウルムチ行き。熱血ガイドの雷寧君といろいろ話し合う。「野口先生のお話で、大変勉強になりました」と何度も言われる。

 

皆さんの意見

5月26日開催の、「シルクロードクラブ・こまえ」第四回定例会「行った、観た、初めてのシルクロード―私の見てきたシルクロード―」では、参加者から次のような意見が出された。

★忙しすぎた。一ヶ所で二日いることがあればよかった。
☆和気藹々とした旅だった。
☆汽車の旅がよかったが、昼間、周りを見ながらがよかった。
30年前にも中国に行ったことがある。日本の昭和20年代の日本と同じようだった。今は、日本の1964年のオリンピックのころのようだった。
☆砂漠の雄大さに感動した。
★トイレは相変わらず昔と変わらないヒドサだ。中国はこれを何とかしないとダメ。
いろいろな民族が、どういう気持ちを持っているのか。中国は今のままでやっていけるのか、興 味深い。
☆旅は非常に楽しかった。
★仏教遺跡などの保存に力を入れてほしい。トイレはひどい。観光料を取っていてあのトイレでは 取る資格がない。
★孫がトイレの写真を撮影した。もっと中国やシルクロードのことを勉強していけばよかったが、 各地ともガイドがよかった。
★どこの観光地も必ずお土産売り場がついているが、なんであのようにしつこい売り子を置くのか 。あのような観光スタイルをさせるのは誰のせいなのか。
★もっとゆっくり自由に観光や買い物をさせてくれないのか。改善するべき。収入を増やしたけれ ば、観光料金を高くすればよい。ゆっくりお土産を見たり買いたい。

☆あと2〜3日はゆっくり観光したかった。
☆北京についたとき餃子が食べかった。敦煌やトルファン、天池はまるで水墨画のようだった。ト ルファンからウルムチに向かうバスの中では、感動して涙がこみ上げてきた。
★ウイグル語を覚えてもう一度、シルクロードに行きたい。

☆みんな旅の仲間として、波長の合う人が多かった。いい仲間たちだった。

クラブ会員から

遺跡は20年くらい前から保存と活用を始めた。
  70年代末から改革開放政策が始まり、80年代から観光地としてスタートした(野口)。
    敦煌の芸術品は、もともと西域から東へ伝わっていったもの。
   仏教遺跡などを政府がお金を出して管理することはないでしょう。
   タクラマカン沙漠という水のない土地で暮らしてきて、オアシスのわずかな水で生活してき  たウイグル人は、トイレに水を使うなどは、昔は考えられなかった。
   10年前までは、今のような売り場は少なかった。ガイドも大変です。
   ぜひ、現地の家庭料理や夜店の屋台で食事をしてみてください。
    

野口から

☆日程的に一ヶ所に一泊はきつかったと思う。
☆漢土が3泊、汽車が1泊で、シルクロードのトルファン、ウルムチが2泊だけだった。シルクロ ードでの泊りが少なかったと反省している。
☆もっと、日程に余裕を取ればよかったが、30万円以下に抑えたかったので無理だった。
☆事前の勉強は実際上、無理。観光が終わってからは是非シルクロードを勉強してほしい。
☆現地の家庭料理や夜店の屋台で食事をする機会を、ぜひ、作りたかった。
☆その他

  
-転載ー

中国、貧富の格差深刻 北京、暴動はらむ「危険ライン」

社会不安が増幅対策急務
【北京=福島香織】中国政府が都市住民の格差問題に警鐘を鳴らし始めた。これまで都市と農村の格差については問題視されてきたが、最近の調査では都市住民の収入格差もジニ係数(格差の指標)で「警戒ライン」上の0・4前後に達し、五輪を控えた北京では、暴動リスクをはらむ「危険ライン」である0・5前後に達しているという。急激な経済成長の一方で、ジニ係数も急速に上昇しており、早急に対策を講じなければ、社会不安がさらに拡大するとの指摘が専門家からもあがっている。
富裕層と貧困層の格差は北京の街をざっと見渡しただけでも明らかだ。北京シャングリラホテルがこのほど、バレンタインデーに向けて売り出した宿泊パッケージは、一泊九万九千九百九十九元(約百五十万円)。永久の久と九の字をかけた縁起商品で、九十九本のバラと、ダイヤの指輪、スパ付きのプレジデントルームでの特製ディナーなどがセットになっている。まだ予約は入っていないというが、若者からの問い合わせは多いという。
ブランドものに身を固め、街を闊歩(かっぽ)するカップルたち。しかし同じ街には、数百元の月給で奉仕する家政婦や、賃金を踏み倒されて故郷に帰れない出稼ぎ労働者、高級マンション建設のために住み慣れた家を追い出されたホームレスがあふれている。
北京市で昨年暮れに開かれた「人口発展と社会調和」フォーラムでは、こうした貧富の格差の現状が危機感を持って訴えられた。中国社会科学院の専門家によると、北京の所得格差はジニ係数ですでに0・5前後。これは上位25%の金持ちが地域の総所得の75%を占める状況だ。同じ職場の管理職と一般職員の収入格差が平均約十三倍に達していることや、保険セールスマンの最高年収が二十四万元なのに対し、富裕層が雇う家政婦の年収はわずか六千五百元であることなど具体的な例が示され、格差拡大の警鐘が鳴らされた。
また同院が最近発表した調査では、中国全国の都市住民の所得格差も0・4前後の「警戒ライン」上にあるという。
この調査結果について、李迎生・人民大学社会学部教授は中国紙上で「低所得層に剥奪(はくだつ)感が生まれ、心理バランスが崩れ、社会報復行動にでる恐れがある」と述べ、暴動などによる治安悪化への懸念を表明している。
 中国ではこれまで農村と都市の収入格差が大きな社会問題とされ、〇四年のジニ係数は0・45−0・53(国連人類発展報告)にまで拡大。農民暴動件数が公式発表でも七万四千件を超えるなどの社会不安状況が目に見えはじめていた。このため、胡錦濤政権は農村の余剰労働力を都市に移動させることで農民の収入向上を狙ったが、都市の雇用創出や社会保障整備が間に合わず、都市内に大きな格差と暴動リスクまで流入させてしまった格好だ。
昨年四月に北京で発生した暴力を伴う反日デモも、こういった格差による暴動リスクの表れだとする見方もあり、五輪を控え国際イメージと治安を守らねばならない北京にとって「格差是正」は切迫した問題になっている。
【用語解説】ジニ係数
所得分配の不平等状況を示す係数。0から1の間を推移する統計指標で0に近いほど平等となる。一般に0.3−0.4は格差もあるが競争も促進され好ましい面もあるとされる。「警戒ライン」の0.4を超えると社会不安を引き起こす可能性があり、「危険ライン」の0.5を超えると慢性的に暴動の危険をはらむ。2005年に経済協力開発機構(OECD)が公表した日本のジニ係数は0.31、米国は0.36。

産経新聞) - 211320分更新


学生の出費 農民年収の3・5倍
                       2月2日 朝日
北京と天津の大学生を対象にしたアンケートによると、大学生が一年間に使う金額は、農民の平均年収の3倍を超えていた。貧富の差が広がる中国では、貧しい農村部の家庭から子どもを大学に進学させることは難しくなっている。
中国各氏によると、天津市にある南開大学の研究グループが、北京と天津の8大学の学生約9500人の出費を調べた。学費や寮費を含む年間の平均消費額は1万287元(約14万9千円)。04年の農村部住民1人当たりの平均純収入2936元(約4万2500円)と比べると、約3・5倍になると指摘した。携帯電話を持つ大学生も回答者の8割近くにのぼった。パソコンは49%が所有、MP3プレーヤーは46%、デジタルカメラは29%との回答だった。
中国教育省などによると、全国で学校を退学した小中学生は04年に約230万人と推計される。大半が経済的理由による。都市部での退学はほとんどないが、西部の貧しい農村では多く、7%の中学生が退学する地区もあるという。



中国政府の交通部交通管理局の楊局長は、1月12日、05年度の交通事故を発表しました。

それによると05年度の交通事故件数は、450,254件
死亡者数は、 98、738人、
負傷者数は、469,911人、
経済損失は 18.8億元(約282億円)
交通違反者は、2.23億人
処罰者数は、 1.71億人(+10.2%)
スピード違反、1、239万件、
過積載件数  197万件であると発表しました。
因みに04年末の車輌保有数は、1.07億台。
3年前の2600万台から急激な増加ぶりです.
しかし、10万人近い死者の数は余りにも多い。
死亡者のうち飲酒運転による死亡者は、05年の1月〜3月
までの3か月間だけで1113人(4倍すると4452人)、
04年は4658人となっています。
死亡者数は2001年来、10万人を下回ったのははじめてで、
世界の交通事故死亡者の15%を占めています。
やはり大国です。
運転手数は、1.16億人で警官は100万kmに10数人、
管理がズサンで交通意識が薄弱であるとも述べました。
よく理解できます.

国家級道路は151万5880km、高速道路は34288kmです。



「新シルクロード」整備に2千億元投入 新疆 -----------------------------------------------------------------
新疆ウイグル自治区は、今後20年をかけて2千億元を投入し、「新シルクロード」の整備に全力を挙げる予定だ。

「新シルクロード」は、中国内陸部と西欧の工業中心地を結ぶ、現代型の道路網として構想されている。中国と中央アジア、西アジア、南アジア、東欧、南欧、西欧などの地域の国々とを結ぶ。中国国内の区間の総延長は4395キロになる見通し。
同自治区の「2001−2020年新疆自動車道路網発展計画」によると、自治区内の自動車道路の総延長は、2020年に15万キロに達する見込み。また「新シルクロード」や「アジア・ハイウェー」の一部となる国道321号線、314号線の新疆区間は、すべて高速道路化する。
このほか、烏魯木斉(ウルムチ)から甘粛省、内蒙古自治区を経て北京に至る高速道路も整備する計画だ。これにより、新疆と北京など東部地域との連携を強め、新疆や中央アジア諸国から海までの距離を縮めていく。(編集YS)
「人民網日本語版」2005年12月26日

野口=経済発展(開発)と歴史遺産の保存を両立させる課題は、いよいよ困難に向かっているようです。これまで当局は「開発」を優先させてきた関係で、新疆=シルクロードの景観が著しく損なわれています。この状況がさらに深刻な事態に陥りそうになっています。


新年の中国の動き

1日、胡錦濤主席は全国政治協商会議の新年茶話会で演説し、2006年を第11次5ヵ年計画の「よりよいスタート」の年にしたいと語りました。
胡錦濤主席は、「内需拡大をさらに突出して位置づける」と強調。「社会主義新農村」の建設や地域間の均衡の取れた経済発展、省エネルギー型で環境に優しい社会の建設を訴えました。
昨年、マルクス主義理論の研究プロジェクトを開始したことにも言及し、経済・社会の発展に「強大な精神的原動力」をもたらしたと評価しました。

  ☆ 中国国内は現在、都市と農村の経済格差や地方幹部による勝手な税金徴収などが常態化しており、各地で暴動や騒乱が頻発しています。
さらに野放し状態ともいえる環境破壊がもはや政府にとっても国際的な批判もあって、これ以上黙視できない状況に陥っていることを示しています。また、中国共産党は現在、社会主義的な市場原理での経済活動を強めていますが、これにたいして「資本主義的な経済活動ではないか」との批判が一貫して出されており、世界の数十カ国に理論交流代表団を派遣していることに関する発言だと言えます。

中国・自然災害 昨年の損失3兆円に
中国民政省の李立国次官は5日の記者会見で、洪水や台風、地震、干ばつなど自然災害により中国国内で昨年2475人が死亡し、直接的な経済損失が2042億1千万元(約2兆9610億円)に達したと発表しました。損失額としては01年以降5年間で最悪となりました。

中国・炭鉱 昨年5,986人死亡
中国国家安全生産監督管理総局は5日までに、2005年の事故発生状況を公表し、炭鉱事故は3341件起き、5986人が死亡したと発表しました。04年に比べてそれぞれ300件、41人減少しましたが、大規模事故が急増する深刻な事態が続いています。

             (いずれも北京=時事通信の記事)

☆私が新疆に出かけると必ず何回か通るウルムチからトルファンへの高速道路の沿線でも昨年、重大事故が起こり、多くの方が亡くなりました。犠牲者はいずれも貧困層の現地ウイグル人や出稼ぎの中国人農民たちです。原因はいずれも経営者が利益追求のために人命を軽視して、安全のための経費を使わないことにあります。

 



親愛な皆様

 2006年、新年明けましておめでとうございます。

今年も皆様にとって、幸多い1年になることを心から祈ります。


ところで今年2006年は、国連の「砂漠と砂漠化に関する国際年」です。

深刻な干ばつや砂漠化に苦しむ国や被害を受けている9億人の人びとに対し、国際社会の認識を高めることを目的に、国連総会が03年に決議したものです。

国際的な協力で砂漠化防止に取り組もうと「砂漠化対処条約」が96年に結ばれています。

日本を含め世界150ヶ国が批准していますが、アメリカは批准していません。

土地が劣化し、草木の生えない不毛の地になってしまう砂漠化。日本では、あまりなじみがありません。ところがこれが、地球温暖化問題と並ぶ地球規模で深刻化している重大な環境問題になっています。

新疆でも砂漠化の被害と影響は深刻ですが、とくに貴重な歴史遺産が砂漠に埋まっており、また、埋まりつつあります。

この事態を解消するには、すぐれて人智による、たゆみない努力と行政の姿勢が決定的であると思います。

 
 話を戻します。

「シルクロードクラブ・こまえ」は、新年早々、1月8日に最初の例会を開きます。

内容は、私・野口の常設講座です。

わたしのミニ講座の内容は、「遊牧民族が世界の歴史と文明を形成した」という内容です。

皆様の反響がどのようなものになるのか、いささか不安ですが、挑戦してみます。

なお、わたしは4月から「読売文化センター新宿」のシルクロード講座を6ヶ月間、担当することになり、目下、レジュメ作りに懸命です。

「シルクロードクラブ・こまえ」の常設講座の内容も、読売のものとタイアップしたものにしています。

いずれにしましても、「シルクロードクラブ・こまえ」は、皆様の要望をもとにして、講座の内容を決めていきますので、

今後とも、時間のある場合で結構ですので、お気軽に顔をお出しください。歓迎いたします。

会場は狛江市役所の中にある中央公民館です。

なお、1月9日から毎週月曜日午後1時過ぎからは、アルズグリさんを先生にした「中国語&ウイグル語講座」を

開設します。お時間のある方は、是非お越しください。

 2006年1月3日

 「シルクロードクラブ・こまえ」代表・野口 信彦