日中友好新聞連載シリーズーシルクロードの光と影
第 3 回
 遊牧騎馬民族が世界史と文明を形成した
中央アジアは古代から、長安、ペルシア、インド、ローマさらには北アフリカにもつらなる交易の道、多様な文明と宗教が往来した道=いわゆるシルクロードの要衝でした。

西は黒海北方のカルパート山脈から、東はパミール高原、アルタイ山脈、モンゴル高原から朝鮮半島まで、ヨーロッパ・アジアにまたがる広大な草原・砂漠・ゴビ灘・山麓地帯に、いまから約3000年前、ギリシア人は「スキタイ」と呼び、ペルシア人は「サカ」と称したさまざまな種族が住んでいました。

スキタイ・サカ人は、アッシリアの統治を経て、人類史上初の遊牧騎馬民族スキタイの時代をもたらしました。が、極言すれば、すぐれた遊牧文明を持つとともに、騎馬軍隊という強力な組織を基礎にした人類初の国家づくりを果たしたのです。

紀元前1万年くらい前から、気候の温暖化に伴って中央アジアが乾燥化していきました。これらの環境に適応するために細石器をつくり、イヌを家畜化し、野生のヤギやヒツジを飼育することが始まりました。こうした農耕と牧畜による生産経済の発明は、人類の歴史と文明形成を加速度的に発展させました。

スキタイ・サカの諸種族はそれぞれに独立していましたが、種族の防衛や遠征に際しては互いに連携して戦いました。彼らはとてもよく武装された戦士で、当時としては卓越した騎馬部隊をもっていました。

彼らは、現代人の生活にも貢献しています。そのもっとも顕著なものは、ズボンの発明です。袴(はかま)状の前合わせの衣類による乗馬の不安定から自らを開放するために、乗馬に必要な「ズボン」を生み出し、また、胃下垂などを防ぐためにベルトをも創りだしたことを考えると、近代ファッションの生みの親はスキタイだったといえるかもしれません。さらに、鐙(あぶみ)の考案は、その後の彼らの軍事力の圧倒的な強化を生み出しました。

スキタイ・サカ人はこの時期、ギリシア文化との接触があり、アジアではロシアと現在の新疆北部のアルタイに直接または間接に関係を持っていましたし、中国との関係は中央アジアの遊牧民を媒介して保たれたように思われます。

サカの動きは南新疆において、とりわけ言語関係でも顕著にみられます。少なからぬ新疆の研究者にスキタイ・サカについてたずねると、彼らの口から「サカ」という単語が頻繁に出てきます。改めてスキタイ・サカの現代にいたる影響力の強さに思い至ったものです。

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