東トルキスタン共和国の成立と崩壊 〜新疆におけるイスラームの歴史〜
1.新疆におけるイスラームの歴史
7世紀、アラビア半島の一角に生まれたイスラームは、アッラーを唯一の神とする一神教であった。イスラームを国教として採り入れたアッバース王朝の拡大とともに、イスラームは瞬く間に中近東に広がり、やがてアフリカから中央アジア全域に拡大、10世紀に西域のカシュガルに入ってきている。

10世紀ころ、東トルキスタンの地にイスラームが入ってきて以来、千年。トルファン盆地を最後として、西域(現在の新疆ウイグル自治区)は全域がイスラーム化した。あの西域各地の旧仏教王国のおもかげは、イスラームの“偶像否定”の関係で、かすかに石窟や故城の壁画などに残っているだけである。

タリム盆地のイスラーム化は、やはりカラハン朝の進出がきっかけであった。

10世紀、まずパキスタンとの国境タシュクルガンを経て、カシュガル一帯がイスラーム化されたが、ついで一大仏教王国であったホータンとイスラーム勢力との熾烈な争いが、40年間にわたって展開された。しかし、この争いもイスラーム側の勝利に終わり、タリム盆地のオアシス勢力は急速にイスラーム化されていく。この波に抵抗したのがトルファン一帯のトルコ人である。周辺がイスラーム化されるなか、15世紀はじめまでは仏教を信仰していたことが記録に残されている。しかしイスラームを信奉するモグーリスタン汗国(モンゴル系イスラム教徒の国)の支配下に入ると、ウイグル族の多くが住むこの一帯もついにイスラーム化し、タリム盆地全域のイスラーム化がここに完成したのである。

天山南路北道の出発点として栄えていた北疆のトルファンは、9〜10世紀に匈奴の支配から免れたあとも、北方騎馬民族の柔然や突厥などの侵攻を跳ね返していた。

しかし840年、モンゴル高原に住んでいたウイグル王国がキルギス族によって滅ぼされると、ウイグル族はモンゴル高原を下り、天山山脈一帯にいくつかの集団に分かれて住むようになった。トルファンもその波に飲み込まれ、急速にウイグル化がすすんだ。

10世紀にはイスラーム国家のカラハン王朝がタリム盆地を占領し、それまで仏教徒だった住民たちは次々にイスラーム教に改宗した。これ以後、現在にいたるまで、新疆ウイグル自治区の大部分がイスラーム圏となっている。

イスラーム化後のトルファンは、アッバク・ホッジャというイスラームの聖職者が政治経済の実権をにぎり、タリム盆地の各国を巻き込んで勢力争いを繰り返した。

17世紀後半に中国を統一した満州族の清王朝は、新疆の混乱に乗じて遠征軍を起こし1720年にトルファンを占領、千年ぶりに中国王朝の直接支配下においた。しかし、その後も反乱が頻発し、戦略上重要であったトルファンはたびたび戦乱に巻き込まれて荒廃した。

20世紀になると、革命勢力・民族勢力が台頭し独立運動が活発になった。
1944年11月にはカザフ国境に近いクルジア(イリ)地方に「東トルキスタン共和国」が成立し、1年余のあとにいたって中ソ両大国の干渉と陰謀によって崩壊した。その後、49年に人民解放軍がウルムチに入城すると、新疆は中国共産党の統治下に入り、55年10月1日に新疆ウイグル自治区がつくられ、現在に至っている。

現在の新疆ではウイグル、カザフ、回、キルギス、タジク、ウズベクなど10の民族はイスラームを信仰し、モンゴル族は多くがチベット仏教(ラマ教)を、少数のオロス(ロシア)族はロシア正教を信仰しており、一部の漢族はキリスト教(景教)を信仰している。
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