| 7.共和国内の二重権力構造 |
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東トルキスタン共和国の政治構造のもっとも重要な特徴は、イリハン・トレを代表とするウラマー(イスラム教上層指導者)およびトルコ系イスラーム住民社会の上層部出身者の勢力と、親ソ的ウイグル人・タタール人の知識人および、なおかつソ連国籍のカザフスタン人などの軍人や政府官僚のソ連勢力という2つの政治勢力が、前者は政府委員会に集中し、後者は軍部に集中して軍を掌握しながらも、政権内部に共存していたことであった。 2大政治勢力の共存体制は、あくまで「革命の初期段階」で対中国人戦争のためにできたものであった。44年の東トルキスタン共和国運動が親ソ的知識人の主導で起こされたため、軍部と内務省などの重要な機関は、親ソ的知識人とソ連勢力によって掌握された。つまり、2大政治勢力の共存体制は、政治権力のアンバランスな状態によって生じたものでもあった。双方の政治理念が根本的に異なっていたため、いったん外部の目標を見失うと、とくに実権を握るソ連勢力にとって、それを存続させる理由もなくなる。その際には、共存体制は東トルキスタン共和国を内部から崩壊させる因子にもなったのである。 新疆は今、―90年代の新疆における分離独立運動の実態 次に、1990年代以降の新疆の動きをみてみよう。 新疆ウイグル自治区は改革開放後、とりわけ1990年代になって以降、中国内外から注目を浴びるようになってきた。その理由は、タリム盆地で世界最大級ともいわれる石油が発見されたからであり、そのほかにも豊富な天然ガスや石炭を埋蔵している。改革開放で経済発展と工業化を急ぎ、エネルギー資源の不足が表面化している中国にとって、新疆とその天然資源の重要性はますます大きくなっている。 その新疆が、もうひとつ注目を浴びている理由として、新疆のウイグル民族を中心とした諸民族による中国からの分離独立の動きである。 90年4月に20人以上の死者を出した南疆アクト県バリン郷の暴動は、「反革命武装暴乱」と呼ばれ、各地に波及した一方で、「ジハード(聖戦)を起こして、中国人を東トルキスタンから駆逐する」とのスローガンを掲げ、秘密組織「東トルキスタン・イスラーム党」の存在を明らかにした。それらの動きの結果として、91年1月に中国共産党中央は党員の宗教活動禁止を指示した。逆の見方をすれば、諸民族の共産党員におけるイスラム教徒の比率が異常に高くなったことと、彼ら自身が分離独立の運動にも関わるようになったからである。 92年2月にはトルコのイスタンブルで「東トルキスタン民族代表大会」が開かれ、新疆各地からは民族代表が非合法に、隣の中央アジアや欧米に亡命しているウイグル人たちも出席して分離独立運動の推進を確認しあった。 2000年11月には、イランに亡命していた11人のウイグル人を、中国に強制送還させるというイラン政府の措置にたいして、アムネスティ(国連人権委員会)の力をかりて阻止しようという動きもあった。帰国すれば、長期の刑か死刑に処せられることは容易に予測される。 その後、93年の春と夏にもカシュガルで民族暴動が起こり、新疆各地の人民解放軍の戦車が大挙、押し寄せて鎮圧した。 97年2月には北疆のイーニンで「分裂主義者の破壊活動」事件が起こり、2000年にいたるも東トルキスタン各地でデモ、暴動、テロが相次いだ。さらに6月にはウルムチで分離運動の裁判で6人が裁判で死刑判決を受け、即日処刑されるというニュースがあった。また、ウルムチ市内で手広く商売をしているウイグル人女性実業家ラビア・カーディルさんが、アメリカ人の夫に手紙に添えて新聞を同封したところ、「反革命秘密漏えい罪」で逮捕され、懲役15年の刑に処せられたというのも、有名な“噂”になっている。外国には香港発のニュースで知らされている。 余談になるが、筆者が98年夏、イリのイーニン市を訪れた際に、念願の「三区革命博物館」を参観した。ほかの参観者は誰1人いなく、筆者のまわりを公安関係者が多数群がり、私の参観を露骨に妨害し挑発する態度をとった。現在では、三区革命を賛美する毛沢東の書が書かれた大きな記念碑があるにもかかわらず、分離独立運動なりやまない場所での外国人や諸民族の参観は、それ自体が中国当局の神経を逆なでする行為になっているのである。 もうひとつの重要な“余談”は、東トルキスタン共和国政府代表団が、1949年、北京の新政治協商会議に行く途中、飛行機事故で全員が死亡した指導者の遺体を迎えたという、当時の“活動家”の古老にインタビューした。その古老は「あれは事故ではない。我々の代表は北京まで行ったのだ。北京で毛沢東に東トルキスタンの民族自治を求めたが、断わられて大喧嘩になったことが原因なのだ。帰りの飛行機をスターリンと毛沢東が共謀してカザフで撃墜したのだ」。という話を聞いた。その古老は、その二日後に老衰で亡くなった。今では、確かめるすべもない。さらに、ウルムチ市内に住むもう1人の古老には、四六時中公安の監視・見張り・尾行がついており面会がかなわなかった。これが現在の新疆の現実なのである。 これらの動きのほとんどは完全に中国当局の管制下にあるため、処刑などの見せしめを目的とした報道か、口コミでしか知ることができない。隣街のデモや集会の動きも含めて、新疆の諸民族にはほとんど知らされないからである。 私がウルムチから単身、トルファンへの長距離バスに乗ろうとしたとき偶然隣りあった青年の話では、夜陰に乗じて仲間の家に行き、超短波のラジオでNHKの日本語国際放送やサウディアラビアのウイグル語放送などを聞いて、分離独立運動の状況を把握し、互いに知らせ合うといっていた。無論、発覚すれば逮捕・投獄である。“偶然知り合った”というのは、実は偶然ではない。それは、ほとんどすべてのウイグル人は、中国人(漢民族)と中国政府を嫌悪しており、とくに青年層の多くは具体的な運動に関わりやすいからである。 |
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