中央アジア5カ国のシルクロード歴史遺産を経巡る旅
1.出発
5月20日(水)
私にとっては、多くの資料などで見ていて、知っているようで実はあまり知らない中央アジアへの旅が実現しました。
ウズベキスタン航空の直行便で成田から関西空港経由でウズベキスタンの首都タシケントへ。
この旅の申し込みをしたのは、たしか昨年08年10月頃だったと思います。旅の途中の雑談などで分かったことは、申し込みは私が一番早かったようです。別に自慢にもなりませんが、それだけ中央アジア・シルクロードにたいする思い入れが強かったのだとも思っています。
空の旅は成田からは関西空港経由でしたが、大阪からでは7時間程度。夜の飛行機は、都市の上空を通ると街の灯りが美しく見えます。成田から大阪までは房総半島〜伊豆半島〜静岡〜名古屋と。
考えてみると、今回の旅はシルクロードを飛行機で、いわゆる“仏教の東漸”ではなく、逆に西へ進んでいくのです。
大阪では面倒な乗り継ぎ手続きを終えて、フライトが夜中の12時少し前。時差の関係もあるのですが、神戸・三宮〜岡山〜広島〜福岡から海を越えて、ソウル〜ピョンヤン〜北京〜蘭州〜河西回廊〜トルファン〜ウルムチ〜アルマトゥなど、それぞれの都市上空近辺を通って、朝方の5時前にはタシケントに着きます。
こうしてみると、近世になって支配層が決めた「国境」という存在のナンとはかないことよ、と思うばかりです。皆さんもご経験があるでしょうが、はるか下の街の道路を走る車のライトが時たまサーッと光るのを見ると「今日も遅くまでお仕事ご苦労様」といいたくなります。1万メートル上空から見る深夜の街の灯は、この上なく美しいものです。機内でこの飛行ルートを見ているだけで、“我がシルクロード”への想いが募るばかりです。

タシケントからは、そのまま乗り継いでカザフスタンのアルマトゥへ向かいます。フライト時間はおよそ2時間半。なつかしの旧名アルマ・アタ(りんごの里)です。朝もやの中で浮かび見える天山山脈が私に迫ってきます、といいたいところですが、すでに季節は初夏から夏です。すでに夏の強い日差しが照りつけています。
ジャニペグ君 ここではキルギスからガイドとしてやってきたジャニベク君。バスは中国製のかなり豪華なもので、ドライバーもキルギス人です。 しかし、なぜカザフ観光にキルギス人なのか、と思うでしょうが、言葉も文化もかなり近い関係があるので、なんら差し支えはないことなのです。カザフの次はキルギスに行くということもあるようです。

神様のお引き合わせ
早速ですが、後日談があります。
「日本シルクロード文化センター」で、月に1回、「シルクロード講座&サロン」という集いを開いているのですが、この日7月18日は、「キルギスの日」でした。わがクラブの周東三和子事務局長が私と入れ違いのようにキルギスへ行ったのですが、写真を中心とした周東さんの報告と、大学院生でキルギス共和国大使館スタッフでもあるチムールさんのお話がありました。
終了後、定例となっている「懇親会」で楽しく飲み、話していると、チムールさんに同行してきた、若く美しいキルギス女性のグリザートさんが、私たちのガイドをつとめてくれたジャニベク君のことを「彼は私の大学の同級生ですよ」といったので驚きました。もっと驚いたことは、この日の講師であるチムールさんが「彼は私の日本語の生徒ですよ」といったのには、驚きの2乗です。偶然とはいえ、どこかの誰かが、ジャニベク君と彼らと私たちとを引き合わせてくれたのだと思いました。
次へ >>
目次に戻る