日中友好新聞連載シリーズーシルクロードの光と影
第 10 回
「セランド」とは何か
 従来、中央ユーラシア、中央アジア、西域、シルクロードを表す概念は、比較的、漠然とした感がありました。「セランド」とは、1996年、東京国立博物館でシルクロード大美術展が開催された際、フランス側総合責任者ジャック・ジェス氏(ギメ国立東洋美術館)、モニク・コーエン女史(国立図書館)らが使った言葉です。

セランドあるいはセリンディアは、中国文化の代表的な文物である絹(セル)とインドの仏教文化を表す合成語です。当時、インドは中国のことを「セレス」と呼んでいました。

セランドは天山山脈と崑崙山脈に挟まれ、西はパミール高原から東は敦煌を含む地域を指します。北新疆の一部を除いた新疆に当たるこの地域にはイラン系、トルコ系、ソグド系などのウイグル人たち、いわゆるタクラマカン人が居住しており、西暦2世紀頃から約1000年間にわたり、仏教を受容し花開いた時空を表す世界を示すものです。

蚕とインドの意味となるこの地域の文化の研究には、仏教とイスラム教が伝来してきたルートと時期にしたがって考えていくことが必要です。それには、西から東へ仏教が東漸した順にカシュガル文化圏、ホータン文化圏、クチャ文化圏、ロプ・ノール文化圏、トルファン文化圏、敦煌文化圏の六つの文化圏に分けることが適切だと思います

セランドは、8世紀頃、モンゴル高原でのキルギスとの戦いに破れたウイグル(突厥、チュルク系、モンゴル系の集団を含む)がタクラマカン沙漠周縁に下ってきて、もともとこの地域に生活していたインド・ヨーロッパ語系の住民と融合し、のちのウイグルという社会を形成したのです。そのころから遊牧騎馬民族の草原文化から定住農耕民族の砂漠文化へと次第に移行していきました。

彼らは初めトーテムを崇拝し、のちにシャーマニズム、ゾロアスター教(拝火教)、景教、マニ教、仏教、イスラム教などを信仰してきました。

わたしは今後、このセランドに居住する人びとをウイグル人ではなく、「タクラマカン人」と呼びたいと思っています。なぜなら各民族の起源が明確でないままに、イラン系、トルコ系、モンゴル系などという「違い」を強調して呼称することにはなんらメリットもないからです。なによりも「民族」という単語は明治維新後に日本がつくった造語であって、現在、私が研究している「民族」については必ずしも正鵠を射ていないからです。

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