日中友好新聞連載シリーズーシルクロードの光と影
第 13 回
タクラマカン沙漠周縁の文化圏紹介 (2)ホータン文化圏
ホータン(和田)文化圏はタクラマカン沙漠の南縁に位置し、西域南道沿いのグマ、カラドゥン、ダンダンウィリク、ケリヤ、ニヤ、チェルチェンまでの地域を中心としたオアシスを示すこのホータン地域は、西域(新疆)初めて仏教を受け入れたため、仏教遺跡が数多く残されています。

もともと仏教寺院遺跡のあったコックマリム(庫克瑪日木・賛木廟)石窟とイマムアスム(伊瑪木阿斯木)古墳は、現在、イスラーム教の聖地となっています。

ホータン文化圏は、タクラマカン沙漠の南辺に位置し、西域南道沿いのグマ、カラドゥン、ダンダンウィリク、ケリア、ニヤ、チェルチェンまでの地域を中心としたオアシスを示す。

ホータンの街は、古くから東の中国、南のチベット、インド、西の中央アジアやイラン、北の天山山脈南麓の諸オアシスと結びつく交易上の要衝として隆盛した。

ホータン文化圏の特徴

崑崙山脈から北に流れ出るカラ・カッシュ(黒い玉)川とユルン・カッシュ(白い玉)川の扇状地が豊かな農作物をはぐくみ、交易上の優位に加えて、加工しやすい宝石、軟玉(カッシュ)の特産物があることもホータンの地位を高めた。

タリム盆地の中央南端、チベットへ連なる崑崙山脈の北麓にあるホータンは、言葉なども含めて、新疆でもっともウイグル族の伝統的な生活様式が残るオアシスである。

ホータンは古名を漢字で「于闐(うてん)」という。チベット語のウテンの音訳である。さらにチベット語のリーユル、インド系のクスタナなどの呼称もある。3世紀にニヤ遺跡から出土した木簡にはクスタナあるいはクスタナカとあり、玄奘三蔵の「懼薩旦那」に対応する言葉がある。これは、サンスクリット語のゴー(大地)・スターナ(乳房)の音写語で、毘沙門天の神助により大地が盛り上がってできた乳房で育てられたとするホータン建国伝説に由来する。

漢字で和田=ホータン、于田(于闐)は、その東、現在のケリアを指す。ホータンの名は10世紀からのイスラーム史料に始まる名前である。

漢字とインド文字(カロシュティー文字)が併記された貨幣(シノ・カロシュティー銭)の出土や、このオアシスの住人たちの言語ホータン・サカ語の普及範囲、そして中国の王女が蚕を密かに髪のなかに隠して持ちび込んでホータン王に嫁ぐ伝説などは、この地に成立した文化や国家の国際性と周辺への影響の大きさを物語っている。

しかし、10世紀にイスラームの勢力がパミール高原を越えて東に伸びて文化の共通化が始まると、交易路に変化が生じるようになった。南隣のチベットに仏教が定着したこともあり、東西交易の主流が天山山脈沿いのルート(西域南道)に変わり、ホータンを経由する路線が傍流になってしまった。ロプ地方の荒廃も同じ理由からである。それ以降は地域の中心ながら、かつての国際性を失った地域であるといわれている。

ホータンの主な仏教遺跡
ラワクの大塔:ホータンの北北東約57キロ、タクラマカン砂漠の南縁にある仏教遺跡。

ダンダーン・ウィリク仏教寺址:ラワクの東北約90キロ、ドモコ北方80キロの砂漠中に、スタインが発掘したダンダーンウィリク遺跡がある。この遺跡は扞彌国(うやこく)の跡であることが確認された。

ニヤ遺跡:ホータン東北の民豊県の北方約120キロにある古代遺跡。 

瓦石峡遺跡:ホータンのチェルチェンから東方へ約120キロで瓦石峡に着く。瓦石峡村の西約1キロの公道の南側に瓦石峡遺跡がある。

ホータンのマリカワト遺跡:

ホータンのカラドゥン寺院址:ケリア川流域の近くにある仏教寺院址。

ヨートカン遺跡:ヨートカン(約特干)遺跡は、町の中心から西に23キロのところ。

ミーラン遺跡:チャルクリクの東方約60キロの第36開拓団場(三六団場)の東方にある仏教遺跡。

第14回へ
「シルクロードの光と影」トップページへ