日中友好新聞連載シリーズーシルクロードの光と影
第 18 回
10万年前から21世紀までのシルクロード
シルクロードという名称はドイツの地理学者リヒトホーフェンが中国を旅して著わした「ザイテンシュトラーセン」をイギリスの探検家スタインが、「シルクロード」と英訳しました。

日本では長安からローマまでをラクダに乗っていくというロマンの面が先行していました。それだけでは、人類文明の発展にシルクロードが果たしてきた巨大な役割を卑小化してしまうことになりかねません。

しかし私の考えからすれば、「シルクロード」は地球上の東西南北あらゆる地域の砂漠・草原・山岳・海を結び、多くの文明が往来した「地球ネットワーク」だったのだと思えるのです。

さらにシルクロードは、決して古代や中世あるいは20世紀初頭の探検時代までという期限付きのできごとではありません。過去およそ3千年の歴史と今後21世紀の奥深いところまで、いや人類文明の続くかぎり存在すると思えるのですが、いかがでしょうか。

さてみなさん。科学の進歩は、現生人類が10万年前にアフリカ東部で発祥したと10年前に結論づけました。人類は皆同じ系譜を持つ家族だったのです。その後、のちにシルクロードと名づけられたルートを通り、また時間の経過と環境の変化で肌の違いが現れてきただけだったのです。

さらに欧米の白色人種は、「我々の祖先は文明が進んでいた。黄色人種と黒人の祖先は文明が遅れていた」という誤解と迷信にもとづいた長年の白人優性論が、まったく根拠のなかったことも明らかになりました。

科学の進歩は数百年にわたる誤解と偏見を吹き飛ばしたのです。

欧米の「白色人種優性思想」は、歴史のなかで人類にたいする数々の罪を犯してきました。アジアに比して文明の遅れていたヨーロッパは、大航海時代と産業革命を経てアフリカ大陸の黒人を銃で脅し、奴隷として売買し、アジアではインドや東南アジアあるいは中国を侵略し、権益を奪い、あるいは植民地化していきました。さらに南北アメリカのインディオ、インディアンなどの先住民族を大量に虐殺し、居留区に押し込みました。

「シルクロード」は決してロマンあふれる道だけではなかったのです。交易だけのルートだったのでもありません。

しかし人類の英知は、戦争に比して平和にこそ価値があると判断しました。第2次世界大戦以降の63年間は朝鮮戦争、ベトナム侵略戦争がありましたが、世界規模の戦争は起こりませんでした。

シルクロードは平和であってこそ発展し、あらゆる文明も平和でこそ発展するのです。

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