日中友好新聞連載シリーズーシルクロードの光と影
第 20 回
日本とシルクロード(2) 宮沢賢治とシルクロード
宮沢賢治の作品には、西域・シルクロードを謳ったものが多い。

詩「奏鳴四一九」では、「これは吹雪が映したる/硼砂(ほうさ)嵐Rap.Nor(ロプノール。湖)の幻燈でございます/まばゆい流砂の蜃気楼でございます」と謳っています。

ロプノールは、以前「シルクロードの光と影」(15)に掲載した「ロプノール・クロライナ(楼蘭)文化圏の人びと」に記述してありますが、宮沢賢治よ、よくもそこまで観察したものだと驚かされます。

私の好きな詩人・槙村浩は、行ったことのない朝鮮における抗日の詩「間島パルチザンの歌」を書きましたが、賢治も行ったことのないシルクロードを書いていたのですね。

地上の「シルクロード」に対して天空には「天の川」いわゆる銀河があります。

わたしがタクラマカン沙漠やその周縁のオアシス(平均標高は約1400メートル)で、あるいはヒマラヤや天山山脈などへの山登りの際に仰ぎ見た天の川は、おそろしいほど私に迫ってきて圧倒されます。

ヒマラヤからは驚くことにサザンクロス(南十字星)が見えます。日本のサザンは長い休みに入るようですが、こちらのサザンクロスは北半球でも見えるのです。

タクラマカン沙漠の周縁を車で走っているときに「I POD」で聞く喜多郎の「シルクロード」もよいのですが、サザンの「TSUNAMI」も最高です。

余談が過ぎました。

宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」からも「シルクロード」を想い起こすことができます。さらに賢治には「西域」つまり「シルクロード」を素材にした作品がかなりあります。

童話『雁の童子』では、西域・新疆の沙車(ヤルカンド)の漢字を使っていますが、現在では「莎車」を使います。ここでも「莎車」の故事が書かれています。

昔々、沙車まで巡礼に来ていた老人がいました。ところがお供についていた従弟が鉄砲で鳥を撃つと言い出しました。老人は「そんな殺生はやめなさい」と言いましたが聞き入れません。そこへ7羽の雁が飛んできましたが、従弟が撃った鉄砲で6羽の雁が次々と撃ち落されました。しかし、地上に落ちてきた雁は人間の姿になって落ちてきたのです。残された1羽の雁は、やがて「雁の童子」となって・・・おあとは本文をご覧ください。

南新疆のヤルカンドから北に向かったところにミーラン(米蘭)があります。そこには、約100年前にイギリスの探検家スタインが発見し、仏教遺跡の壁に描かれていた「有翼天使像」がありました。スタインが驚いたのは、その有翼天使像の顔が、エジプトで発掘されたミイラの棺のふたに描かれていた少年少女の顔とそっくりだったということでした。まさにヘレニズム文化の極致が、エジプトからミーランにまで至ったのだといえます。

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