日中友好新聞連載シリーズーシルクロードの光と影
第 22 回
 日本とシルクロード(4) 雅楽と二胡・胡弓論議
雅楽はもともと飛鳥時代に、仏教とともに中央アジアのシルクロードを通って中国を経由して日本に渡来したものだといわれています。

 それを聖徳太子が仏教普及のために奨励したともいわれています。その音楽は千年前後の時をかけて日本風にアレンジされましたが、当初から「雅楽」としてなじませる努力が払われ、平安中期に完成したといわれます。

 西域敦煌の莫高窟やトルファンのベゼクリク千仏洞あるいはクチャのキジル千仏洞などでも、飛天の舞や、のちの雅楽につながる音楽を奏でる姿が壁画に描かれています。

 二胡は楽器の分類の上では「擦弦(さつげん)楽器」の一種で、2本の弦を間に挟んだ弓で弾きます。胴体部分の皮はニシキヘビが使われています。もともとは唐から宋の時代にシルクロードを経由して西域から中国に入ったといいます。現在、新疆で普及されているのは50年代からのもので、文革期は停滞しましたが、80年代にかけてできあがったもののようです。

 二胡については、いま新疆全土で「ウイグル十二ムカーム」を保存・継承する作業がおこなわれてきましたが、その最後に残っていた作業が「ハミ・ムカーム」でした。

 その作業チームの長老に会って話を聞きました。「私たちのハミ・ムカームはこの二胡だけで表現するという特徴があります。この二胡が中央アジアから中国に入って日本にまで伝わっているようだが、それはとてもうれしいことだよ。この二胡も遠い中央アジアから伝わってきたものだよ」といわれました。わたしも実際に二胡だけの演奏と他のウイグル楽器を入れた演奏の双方を聞きましたが、この長老と同じ結論を持ちました。

 改革開放政策で利益を追求する風潮が強まっている中、伝統的なハミ・ムカームを継承しようとする青年は少ないようです。この傾向はわが日本でもどこでも共通しています。その長老の弟子は、見た目では40歳代後半の人でした。よき継承者がなかなか見つからないことに苦渋の表情を見せる長老の姿は、ウイグル文化の継承発展を模索するウイグル人全体の苦渋でもあると痛感しました。

 「二胡」とは違う「胡弓」が日本の文献に現れるのは江戸初期だそうで、中国からの伝来より、むしろ東南アジアの楽器に近いのではないかという説もあります。

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