日中友好新聞連載シリーズーシルクロードの光と影
第 25 回
 日本とシルクロード(7) 国防や外交の要衝・太宰府政庁
九州の太宰府といえば菅原道真を祀った太宰府天満宮があります。

663(天智2)年、朝鮮半島における「白村江(はくそんこう)の戦い」に百済(くだら)救援軍を出した倭(日本)は、唐・新羅(しらぎ)の連合軍に敗れたために、本土の防衛体制を強化しようとしました。

664年、対馬、壱岐、筑紫に国境防衛のための防人(さきもり)と通信手段の烽(とぶひ)を設置しました。さらに博多湾に隣接した那津にあった施設を筑紫に移して太宰府を設け、北方の四王寺山に大野城、西方に水城を築きました。701年、大宝律令を制定して地方組織として最大規模の行政機構となりました。

ここ大宰府は万葉歌人・山上憶良(やまのうえおくら)が「遠の朝廷(とうのみかど)」と詠い、そのにぎわいを「天下之一都会也(てんかいちのとかいなり)」といわれ、西海道(九州)九国三島の内政を管理し、内外の使節の接待も担う場でした。

市街は大路、小路で碁盤の目状に分けられ、南北の列を条、東西の列を坊とする条坊例が敷かれました。

政庁は南北を貫く中央大路の北に位置し、西側に蔵司(くらのつかさ。倉庫、事務棟とする説も)、東側には府学校や観世音寺などが建てられていました。政庁のあった都府楼跡は現在、歴史公園となっています。

太宰府政庁の外港だった博多には、外国施設や商人を接待した鴻臚館(こうろかん)跡があり、13世紀後半には2度にわたる元寇があり、防備のために築いた石積みが残っています。

対馬は九州と朝鮮半島の中間にあり、古来、日本と韓国交流の舞台でした。現在では韓国から年間6万人近い観光客が訪れています。

九州国立博物館に私が訪れた日はあいにく休館日でした。キューハク(九州国立博物館)のある太宰府市から、博多の舞鶴公園内にある福岡城跡、かつて西鉄ライオンズのホームグラウンドだった平和台球場の辺りまで古代の官道が通っていたのです。そこに鴻臚館(こうろかん)がありました。朝鮮半島や中国からの外交使節や商人の迎賓館だったのです。

吉野ヶ里 (右図)大宰府から少し離れた吉野ヶ里遺跡

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