日中友好新聞連載シリーズーシルクロードの光と影
第 6 回
海のシルクローダー鄭和は、コロンブスより70年早くアメリカ新大陸を発見した
皆さんはギャビン・メンジーズという人物をご存知でしょうか。イギリスの退役海軍将校で潜水艦長だった彼は、退役後、わずかに残されていた鄭和の船団の航海記録をコンピューターで照らし合わせたところ、1405年から25年間にわたって7次にわたる大航海を行い、東南アジアはもとより、インドからアラビア半島、アフリカまで達し、さらに、南極、南北アメリカからオーストラリア沿岸まで達したことを明らかにしたといいます。ということは、マゼランよりも70年も早く地球を一周したことになるのです。さらにそのことはマゼランより70年早く世界を一周したことになります。

メンジーズ氏は「カリブ海や南北アメリカの西海岸あるいはオーストラリアの周辺で巨大な古い中国の難破船が発見されているが、これらは鄭和の船団の一部だった可能性がある」と指摘しています。また彼は、1428年にアフリカや南北アメリカ、オーストラリアを含めた正確な中国製の世界地図が存在していたことから、この地図は鄭和の航海記録を元に中国で作られ、シルクロードを経てベネチアに運ばれたとも主張しています。そして、「この地図を見たコロンブスやマゼランらは自分たちも航海をして貿易で大もうけをしようと考えたのではないか」という論を展開しています。メンジーズ氏の論拠を進めていけば、ヨーロッパの大航海時代の引き金を引いたのは、鄭和の中国、いや中国の鄭和ということになります。

1405年に明の永楽帝の命で船出した鄭和の船団の最も大きな船は、『明史』鄭和伝によれば、船の長さは120メートル、幅は62メートルといい、実に8000トン級の大船になるといわれています。因みに、1492年にスペインの女王イザベルの命で「インド」に向けて出帆したコロンブスの船団は、250トン級が3隻、乗組員は88名でした。しかし、鄭和の船団は木造のため、一度の航海で2万7千人もの乗組員が、300隻もの大船団で朝貢貿易を迫って世界の海を航海したのですが、そのほぼ9割が難破して世界の各地に打ち捨てられ、乗組員は、死ぬかあるいは世界各地に取り残されてきました。そのため、南北アメリカ大陸やアフリカなどにアジア人のDNAをもつ「人」や動植物が現存しているといいます。

しかし、ヨーロッパが有色人種よりも優れていると思い込んでいる欧米人は、それを決して認めません。欧米崇拝思想がしみこんでいる日本も同様です。

鄭和がコロンブスより70年も早く新大陸を発見し、マゼランよりもやはり70年早く世界を一周したという説は、まだ歴史家からの「公認」を得ていないとはいえ、なんと壮大なロマンでしょうか、胸躍る話ではありませんか。

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