日中友好新聞連載シリーズーシルクロードの光と影
第 7 回
シルクロードは平和とともに
ナチスドイツは「ウソも百万回つけば本当になる」と言ったようですが、彼らは宣伝にも特別に大きな力を注ぎました。

1936年はベルリンオリンピックの年でした。このときドイツは、アテネからいくつものルートを通ってベルリンまで聖火をリレーしました。将来侵略するであろう国々の情報を、正確にスパイできる絶好の機会になったのです。お陰で電撃のポーランド侵略をはじめ、欧州各国を席巻したことは歴史の事実でした。

いうまでもなく、オリンピック・ムーヴメントは、若人の祭典であると同時に平和の祭典です。このオリンピックのほんらいの目的を侵略や国威発揚に使用したのですからとんでもない話です。

4年後は幻と消えた東京オリンピックでした。このとき、ドイツは日本政府に、アテネから東京までの聖火を、シルクロードを通ってリレーするように進言しました。

ルートはオアシスルートが考えられたようです。草原路はソ連を通るのでダメでした。イラン・イラク・インドのルートも、イギリスの植民地だったために不可能でした。しかし、国際感覚に疎い日本政府は、ドイツの進言の意図を理解することができなかったのです。

結果として、日本軍部の侵略活動によって東京オリンピックは幻と消えたために、聖火がシルクロードをリレーして東京に運ばれるという事態は避けられました。

当時、関東軍は中国東北部(いわゆる「満州))と内モンゴルからさらに西へ西へと侵略の手を広げて、やがては最大の仮想敵国であったソ連との激突を制するために、モンゴルと新疆の制圧を狙っていました。

もともと、19世紀末から東西トルキスタンへの探検が活発になったのは、英露によるグレートゲームの角遂や列強帝国主義による領土の分捕り合戦でより有利な情報を得るためだったからです。ロシア、イギリスやフランスをはじめとした列強帝国主義は、かくれみのとして「帝国地理学会」などを組織してスパイ活動を進めていたのです。

21世紀の現在も、アメリカがイラクへの侵略活動をやめず、イランへも戦争の手を伸ばそうとしています。中央アジアと中東には戦争の火種が尽きません。現在、アフガンやイラクなどのシルクロードの通過はほとんど不可能になっているのです。実際過去には、敦煌が戦乱で通行不能の時には、南側の青海省を通って交易を進めたこともあるのです。

スポーツ=オリンピックは平和でこそ発展するものですし、シルクロードも平和でなければ発展しないのです。

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