日中友好新聞連載シリーズーシルクロードの光と影
第 9 回
日本にも来た、ソグド人
突厥の可汗が中国から入ってきた絹を、西方に売りさばいていたのはソグド人だったことはよく知られています。いくつかのソグド語文書から、彼らが“偉大な神”を意味する「アドヴァグ」と呼ばれる神を崇めていたことが分かっています。アドヴァグとはインドラのことです。インドラの乗り物は象。ソグド人は彼らの神の姿を表現するのにインドの神の姿を使ったわけです。このアドヴァグ神は大変重要な神で、ソグド語文書では、ゾロアスター教の教祖である預言者ツァラトゥストラの問いに答える神となっているのです。

現在のウズベキスタン近辺にあったソグディアナ自体、その中心地では、ほんの少数部分が仏教徒でした。しかしその東のタシケントのような居住地にはソグド人の大きな仏教寺院があり、東方ではソグド人の多くが仏教徒になっていました。長安や河西回廊などの地に聚落をつくっていたソグド人の大多数はインドから東漸した仏教の影響で仏教徒になっており、唐代の多くの仏教仏典がソグド語に翻訳されました。

実は日本にもソグド人が奈良時代にやってきているのです。文献にも記録があるのです。それは奈良唐招提寺二代目の住職であった安如宝です。この人は中国揚州にいたソグド人で、文献にもはっきりと書いてあります。したがってソグド人と日本とは確かなつながりがあったのです。

これらの説をあわせると、西からの民族が怒涛のように中国に入ってきて、その潮流の一端が鑑真和上について日本にも来たのです。もし安如宝が揚州にいたとしたら、安史の乱で安禄山、安思明憎さで8千人ものソグド人が殺されたのですから、彼も殺されていたかもしれません。よくぞ日本へ来て唐招提寺の二代目住職になってくれたという気がします。

はるか中央アジアの一隅に興ったソグド人が、シルクロードを東漸して河西回廊の各地に邑を構え、都長安でも交易商人や軍人あるいは役人として富と権力を手にした結果、史料の上で明らかになっている日本への渡来という「事実」、なんと夢とロマンに満ち溢れているのでしょうか。なおいっそう、解明と分析の努力を進めたいと思っています。

今、私たちの間で「唐は純然たる漢民族王朝ではなかった」というテーマでの研究を集中的に進めています。漢王朝とは異質の、鮮卑を中心とした北方遊牧民族と西域の諸集団それに漢民族とで構成されたといわれる唐王朝には、その主要な構成部分に突厥とソグドが含まれていることが明らかになってきています。

第10回へ
「シルクロードの光と影」トップページへ